バタヤンの愛称で親しまれた歌手・田端義夫さんが4月25日亡くなった。94歳。
田端さんが松阪の生まれで、困窮の少年時代を送ったということは、芸能に疎い私も、かすかに聞いたことがあったが、特別な関心も持つこともなく、今に至った。
ラジオや新聞の報道で、戦後日本の中で田端さんの果たした役割の大きさを知った。
死を報じた 夕刊三重新聞(2013年4月26日)の記事に目がとまった。
そこには、2001(平成13)年の松阪市敬老会の話題が、当時の写真と一緒に載せられていた。
松阪市民文化会館で開かれた会にゲストとして招かれた田端さんは
「白地に真っ赤な植物模様が大きく入ったシャツ、白いスラックスに白いエナメルの靴といういでたちで、独特の小型のギターを奏でながら約45分 間、十数曲を披露した。伊勢市出身で24歳で戦死した詩人・竹内浩三の詩「骨のうたう」を自作の曲で歌い、戦中2カ月近く最前線を慰問した経験から、「この詩に歌われる"ひょんと死ぬ"兵隊のことがとてもよく分かる」と話した」
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あはれ
遠い他国で ひよんと死ぬるや
だまつて だれもいないところで
ひよんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひよんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や
『愚の旗 竹内浩三作品集』昭和31年1月20日より
|
竹内浩三の詩は、今も色々な方が、曲を付けて歌われるが、
戦争体験者でもある田端さんが、自分で曲を付けて歌われていたことは、
心に留めておきたい。
今、ナンジャモンジャが満開である。
|