【内容】
本居大平「恩頼(みたまのふゆ)」は、宣長の学問に恩恵を与えた先学を図示するところに、京都遊学中の漢学の師であった「屈景山」や、私淑した「契沖」とともに、「ソライ」「ダザイ」「東ガイ」らの儒者の名前を書き入れている。
そのうちの「東ガイ」は、京都の古義堂の伊藤東涯。父仁斎の学問を祖述し、その著書の校訂、刊行に生涯を捧げた人であった。「恩頼」の「東ガイ」を「仁斎」に、または「仁斎東涯父子」に読みかえることも許されるであろう。
仁斎、あるいは古義堂の儒学は、どのようにして宣長の学問の養いとなったか、それを考えたい。
宣長の「もののあはれ」の説は、朱子学の勧善懲悪説などを強く批判し、歌や物語は、そのような倫理的教誡を目ざすものではなく、ものごとに触れることにより動く「あはれ」を人と共有し、自他ともに慰めを得んとするものと説く文学論であった。文学の価値を道徳や政治から解放する近代的な文学観と、それを高く評価することの多いものであろう。しかし、それは一面的な見方に過ぎないと思う。
「もののあはれ」の説は、人の「あはれ」をありのままに示す歌や物語を読むことによって、世間の実情にひろく通じ、人の心をふかく知って、やさしく、ものやわらかな人間、すなわち「よき人」になることができると主張するものでもある。読者論の立場からは、文学をむしろそのような倫理的な効用をもつものと論じるものであった。
仁斎の「恕」の思想、「思ひ邪(よこしま)無し」を「直」とする独自の学説が、「屈景山」に、また京都の歌壇に受容されたさまを示すことによって、仁斎の学問が京都遊学中の宣長をその「もののあはれ」の説に導いていった事情を明らかにしたい。
【講師】
大谷雅夫先生
昭和26 年(1951)大阪府生まれ。昭和55 年(1980)京都大学大学院文学研究科単位修得退学。大谷女子大学(現在、大阪大谷大学)、京都府立大学を経て、平成4 年(1992)から平成28 年(2016)まで京都大学助教授、教授。現在、京都大学名誉教授。専門は日本漢文学をふくむ国文学。和漢比較文学。著書、『歌と詩のあいだ―和漢比較文学論攷―』(岩波書店)、岩波文庫『万葉集』(共著)など。
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