「稲懸大平の家業は代々豆腐屋である」と始まり、 「豆腐の製法、値段は安いが品のある食べ物で、誰もが好んで食べるものだ。
だが、大平の父棟隆は、どうも名前がよくないと気にするので、頭をひねって『みかべ』と言う名前を提案したら、大平が大変喜んだので、こちらも嬉しくなり歌を詠んだ」という内容です。
原文と大意をご参照下さい。 >>「宣長の豆腐評」
代々と宣長は書きますが、実のところ、大平の家の豆腐屋の道具は、須賀直見が稲懸棟隆に譲った物(『田丸屋家譜』)だそうですから、そんなに古くはなかったようです。
なお、この文章は『鈴屋集』6巻に載りますが、
後刷本では「大平」が昭隆となり、文中でも、最初の「大ひら」を「あき隆」、次の「大平」を「昭隆」、次の「大平」を「棟隆」と改めています。
版木もその箇所は埋木で直されています。
(『本居宣長全集』15巻解題13頁参照)

>>「宣長の豆腐評」
>>「稲懸豆腐店」
>>「豆腐」
2014.3.16 |