主要収蔵品 資料名の◎は国重要文化財、○は三重県有形文化財、●は松阪市指定文化財であることを示しています。1.周辺の人々2.宣長の画像3.宣長の生涯4.地図と風俗5.遺品と居宅6.宣長の学問1.周辺の人々◎母勝勝書簡母から、京都で学ぶ息子宣長に送られた「酒は盃三杯以上呑んではいけない」という戒めの手紙。堀景山書幅(春思)帰郷した宣長は、書斎にこの軸を掛けていたという。賀茂真淵像円山応震画田中道麿像宣長の名声は高まり、入門を希望する人が諸国から松阪を訪れる。本居春庭像宣長の長男。失明するが、国文法で顕著な業績を残す。本居大平像失明した春庭に代わって宣長の養子となり、その名跡を継ぐ。2.宣長の画像鈴屋円居の図宣長と松阪の町人たち。歌会の様子を描く。◎本居宣長四十四歳自画自賛像瓶の山桜・机の上の本・着ている衣など、宣長好みの品々。◎本居宣長六十一歳自画自賛像賛には「敷島の大和心を人とはば朝ににほふ山ざくら花」の歌が書かれる。本居宣長七十二歳像京都の画家・鴨川井特が描いた亡くなる直前の宣長像。3.宣長の生涯◎「日記」宣長の「日記」は、生まれた日の記事で始まる。◎「在京日記」23歳、宣長は医学修行のために上京(京都へ行く)◎「万葉集問目」宣長問い、賀茂真淵答え。宣長は通信教育で勉強した。古事記伝終業慶賀の詠宣長69歳。9月13夜、『古事記伝』完成祝賀歌会での歌。「古事の記をらよめば古のてぶりこととひ聞き見るごとし」本居宣長書簡安永7年(1778)6月24日付、荒木田経雅宛。経雅は宣長の友人で伊勢神宮内宮神官。この手紙で宣長は、経雅に徹底した質疑応答を勧める。遺言書命日の決め方から葬送行列、墓参りのことまで、宣長は亡くなるちょうど1年前に本書で指示した。地図と風俗遊楽図屏風小津茂右衛門コレクション◎端原氏城下絵図架空の町。作製時19才の宣長は住人の系図まで創造した。◎大日本天下四海画図少年宣長は日本のかたちを畳一枚の地図に写した。◎『菅笠日記』紀行。43歳の春、宣長は吉野飛鳥を旅し古代史蹟を徹底探査する。御師邸内図伊勢神宮の「御師」は、神主と今の旅行代理店、ホテルを兼ねた。全国からの参宮の人を伊勢の山海の珍味でもてなした。彼らは宣長学の普及者でもあった。遺品と居宅薬箱28歳で町医を開業。この箱で宣長は家族を養った。◎『二十一代集』と本箱『古今集』、『後撰集』……小口を見ると、よく読んだ本は歴然としている。鈴屋集板木このほか、本居宣長記念館では『源氏物語玉の小櫛』板木や『古事記伝』板木(寄託)を収蔵する。古鈴勉強を教わったお礼に、また宣長の好みで、鈴は次第に集まっていった。本居宣長旧宅 【国特別史跡】宣長が12歳から72歳まで過ごした家。明治42年(1909)、魚町から松坂城跡に移築された。書斎・鈴屋53歳のときに、家の2階に増築した四畳半の書斎。宣長の学問◎万葉集27歳の時に購入。おびただしい書き込みがある宣長手沢本。◎古事記宣長の使用した『古事記』(寛永版本)。◎排蘆小船(あしわけおぶね)宣長の歌論。処女作。◎源氏物語玉の小琴(紫文要領)宣長の『源氏物語』論。◎石上私淑言(いそのかみささめごと)34歳頃の著作。和歌を論じながら、宣長の関心は古代へと移っていく。◎直霊(なおびのみたま) 稿本『古事記』に描かれた日本の上代の「道」。◎秘本玉くしげ◎古事記伝 再稿本『古事記』の注釈書。35年の歳月をかけた畢竟の大著。◎うひ山ぶみ 再稿本69歳の宣長が門人の要請で書いた国学の入門書。