学び方は教える人、学ぶ人によって様々だ。そんな中で、学問を通り一遍の方法で教えてよいものかどうか。他人が押しつけることは出来
ないのだから、自ら考え、選び取っていくしかないのだ。
宣長は、学問入門書『うひ山ぶみ』の中で、そう言います。重要なのは、「自分で考える」ということです。
本を読みたいなら、仕事を怠けるな。高い目標を立てて学問に励め。
重要なのは継続だ。才能は関係ない。遅かったとか忙しいとかいう理由で、諦めてはいけない。500年、1000年後でも、自分の考えが認められるまで待てばよい。思っていることを言わないのは不誠実だ。悪く言いたい者には言わせておけ。
宣長の言葉はごく普通の内容ばかりで、新鮮味には欠けるかもしれません。ですが、体験に裏付けられたそれは、200年以上経過した現在でも、私たちの心に響きます。
今回は、そんな声に耳を傾け、宣長の方法や考え方を探っていただきましょう。
≪本居宣長≫という、広大な「山」に「踏み」入る企画展です。
【会 期】 2022年6月9日(木)~9月4日(日) ※休館日を除く
【会 場】 本居宣長記念館 2階展示室
【展示総数】 82種161点(内国重文65点)
【主要展示品】 ◎…国重要文化財
重要なのは継続だ。才能は関係ない。遅かったとか忙しいとかいう理由で、諦めてはいけない。500年、1000年後でも、自分の考えが認められるまで待てばよい。思っていることを言わないのは不誠実だ。悪く言いたい者には言わせておけ。
宣長の言葉はごく普通の内容ばかりで、新鮮味には欠けるかもしれません。ですが、体験に裏付けられたそれは、200年以上経過した現在でも、私たちの心に響きます。
今回は、そんな声に耳を傾け、宣長の方法や考え方を探っていただきましょう。
≪本居宣長≫という、広大な「山」に「踏み」入る企画展です。
【会 期】 2022年6月9日(木)~9月4日(日) ※休館日を除く
【会 場】 本居宣長記念館 2階展示室
【展示総数】 82種161点(内国重文65点)
【主要展示品】 ◎…国重要文化財
いかならむ うひ山ぶみの あさごろも
浅きすそ野の しるべはかりも
浅きすそ野の しるべはかりも
〔はじめての山歩きに着る粗末な麻布のような、こんな拙い私の教えでも、せめて裾野(初学)の標にはなるだろう。〕(『うひ山ぶみ』本居宣長著)
宣長は、自身が執筆した学問入門書『うひ山ぶみ』の奥書でそう述べます。
『うひ山ぶみ』は、宣長が69歳のときに書いたもの。執筆にいたる経緯は、上記で宣長が述べる通り。この寛政10年(1798)という年、宣長は、生涯をかけた大著『古事記伝』最終巻(44巻)を6月13日に完成させた。その後、10月8日に『うひ山ぶみ』を書き始め、同月21日に稿本を完成させているのですから、「急に思い立っての仕事」と言う宣長の言葉は、事実そのものだったのでしょう。普段は印刷物かのようにキッチリ間違いなく書かれる稿本(清書)も、文章校正の跡が見え、清書の段階でも考えながら執筆された、スピード作業であったことが窺えます。
宣長は、自身が執筆した学問入門書『うひ山ぶみ』の奥書でそう述べます。
『うひ山ぶみ』は、宣長が69歳のときに書いたもの。執筆にいたる経緯は、上記で宣長が述べる通り。この寛政10年(1798)という年、宣長は、生涯をかけた大著『古事記伝』最終巻(44巻)を6月13日に完成させた。その後、10月8日に『うひ山ぶみ』を書き始め、同月21日に稿本を完成させているのですから、「急に思い立っての仕事」と言う宣長の言葉は、事実そのものだったのでしょう。普段は印刷物かのようにキッチリ間違いなく書かれる稿本(清書)も、文章校正の跡が見え、清書の段階でも考えながら執筆された、スピード作業であったことが窺えます。
天地が存在することも、地が球体で宙に浮いているという説も、大いに不思議なことだ。そんな不思議な天地の間に生きながら、それを不思議と思わず、神代を疑って「有り得ない」と思うのは、愚か以外の何であるか。己の人の身も考えよ。目で見、耳で聞き、口で話し、足で歩き、手で様々なことを成すのも、すべて不思議なことで、鳥や虫が空を飛び、草木が花を咲かせ実をつけることなども、すべて不思議なことではないか。物が動物に化けたり、狐や狸が人に化けたりということは、もう不思議中の不思議である。
天地万物すべてにおいて、結局のところ世の中には説明のつかないことが多く、たとえ聖人といえども、その理の全てを理解することなど出来はしない。だから、人の知恵には限界があり、小さい者であることを自覚し、神の御仕業がこの上なく不思議なことであることも、理解しなければならない。
天地万物すべてにおいて、結局のところ世の中には説明のつかないことが多く、たとえ聖人といえども、その理の全てを理解することなど出来はしない。だから、人の知恵には限界があり、小さい者であることを自覚し、神の御仕業がこの上なく不思議なことであることも、理解しなければならない。
そんな宣長自身も、夏の夜、不思議な空を見た。
当時の宣長の日記には、そのときの様子が事細かに記されています。
今夜、北の空が赤くなっていた。10時ごろは遠くの火事のようにも見えたが、深夜0時には赤みがものすごく大きくなり、白い筋が現れたり消えたり。やがて赤い光が広がり、東から西の半分まで覆い尽くした。そして、午前2時ごろには消えていった。
この異変は、各地で見られたそうだ。 (『日記』明和7年7月28日)
宣長の目は不思議に瞬きながらも、冷静さを失いません。