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令和4年度 秋の企画展

   大正11年(1922)に本居宣長旧宅・同宅跡が史跡に指定されてから今年で100年。松阪で大切にされてきた本居宣長は、松阪にいたからこそ、歴史の教科書に載るような偉人となったのだということをご存知でしょうか。豊かな商家の主人が暮らし、各所で文化サロンが開かれる。そこで交わされる和歌や熱心な質疑応答。商人としての生活は上手くいきませんでしたが、その土壌が宣長を育てました。そんな松阪で、今一度、宣長を発見しましょう。
 少年時代から通ったお寺、宣長の鈴、松阪へやってきた人々との得がたい出会い――江戸時代から現在までの松阪と宣長の関わりを、数々の史料から見つめ直します。
  
  【会   期】令和4年(2022)9月6日(火)~ 12月4日(日)
  【展示説明会】9月17日(土)、10月15日(土)、11月19日(土)
         いずれも午前11時~(1時間程度)事前予約は必要ありません
  【展 示 総 数】76種 105点(うち、国重要文化財28種)
  *公益財団法人岡田文化財団助成事業
  *本展示期間中、入館者に冊子『宣長さがし』を無料配布いたします。(先着順)
  

【主要展示品】       (◎:国重要文化財)

 宣長にとって、家はただ日々の生活を送るためだけの建物ではない。28歳で古典講釈(講義)を行うようになってからはその会場として活用し、また歌会を開く場となり、古典研究に打ち込む仕事場でもあった。53歳のときには二階を改築して書斎「鈴屋」を造り、宣長はやがてこの部屋で『古事記伝』を完成させる。

▲開講の廻章(◎「宣長書簡」)
▲宣長が講釈に使った『源氏物語湖月抄』(◎)
 宣長の古典講釈の中でも人気が高かったとされるのが『源氏物語』である。全54帖の物語を、最初から最後まで3回と、4回目の途中まで講義した。旅先で行うものを除けば、基本の会場は自宅。そして、夜に行われることが多かったようだ。「開講の廻章(めぐらしぶみ)」は、開催の知らせと参加者の確認を兼ねて出された回覧板で、開催の時間帯は「夕」となっている。町の人々はそれぞれの仕事を終えた後、宣長の家に集まって古典講釈に聞き入るのだ。
書斎 彼らが学んだ宣長の家は、明治42年(1909)に松坂城跡に移築され、大正11年(1922)、当時の「史蹟名勝天然紀念物保存法」により、宅跡とともに国史跡に指定された(現在は国特別史跡)。

▲◎「阿毎莵知弁(あめつちのべん)」
 宣長は『古事記』を読み解くことで、古代が分かると考えた。そのためには、『古事記』を、文字の上の解釈だけでなく、正しく読めるようにならなくてはいけない。その研究の最初に、『古事記』本文冒頭の「天地」をどう読むかを考察したのが「阿毎莵知弁」である。
宣長の〈発見〉の第一歩だ。
























 宣長の足跡は、今も松阪のあちこちに残っている。そのひとつが「天神ノ森」碑。江戸時代に天神ノ森、梅の森と呼ばれた愛宕町・菅相寺(かんしょうじ)に建てられている。菅相寺は、遠方から来た人を歓迎する歌会を開いたり、六十賀会の会場としたりと、宣長も度々訪れた場所。碑に刻まれた文章は寛政8年(1796)に宣長が書いたもの
▲「本居宣長書簡」12月12日付(初出品)
 今年7月に寄贈された書簡。手紙の宛先は不明だが、内容から三河国(愛知県)の人に送った可能性が高い。歌の添削を受ける上でのアドバイスをしており、相手はあまり歌の添削を受け慣れていない人物だったか。今もこうして、長く知られていなかった資料が見つかることがある。
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