10代の中頃に芽生えた、日本と中国では文化の構造や世界観が違いが、出発点と考えられます。
◇「神器伝授図」
>>「神器伝授図の原本 連続尊重意識の芽生え」また、その頃、一つの挫折を経験し、自分の中の「弱さ」を自覚します。
◇「江戸と京都」
>>「江戸と京都」自分を見つめる中で、これは個人の問題ではなく、人間、あるいは日本人全体に共通するものであり、それは、克服すべき課題と言うより、むしろ特質と考える方向へと転換していきます。
その価値観の転換をもたらしたのが、「和歌」と『源氏物語』でした。
◇「和歌」
>>「和歌」◇『源氏物語』
>>『源氏物語』日本人とは何か、それを「言葉」によって考える方法は23歳からの京都生活の中で、 具体的には、契沖との出会いや、堀景山の薫陶で磨かれていき、やがて、「言葉」も「文字」ではなく「声(音声言語)」にこそ、私たちの祖先の物の考え方や感じ方、つまり心を知る手がかりがあることに思い至ったのです。
その時に、『古事記』という本の存在意義を発見したのです。
◇「『古事記伝』への道」
>>「『古事記伝』への道」まだ自分たちの文字を持たない古代、我々の祖先は気持ちを伝えるときも、報告するときも、また記憶するのもすべて「声」でした。
やがて社会が複雑化する中で天武天皇の頃から、また701年の大宝律令の頃から、日本は急速に文字社会になっていきます。
声の時代の記憶が消されて、文字(漢字)文化圏に組み込まれていく。
その時の、危機感から『古事記』が生まれたのです。
さらに、宣長の考え方を拡張していくと、
漢字を使うことが許されないというか、漢字というものは男性社会の象徴でしたから、 使う機会もなかった女性が、期せずして、声の時代の記憶を留めてくれた。
それが「和歌」や『源氏物語』というすばらしい形で再生したと言うことになります。
「国学」という学問は、とかく政治的なイデオロギーという面が強調されますが、
実は、その根底には、「声」とか「女性」という、それまで注目されなかったことの「発見」も、重要な要素です。
◇「国学はなぜ発展したか」
>>「国学はなぜ発展したか」《参考文献》
『新版本居宣長の不思議』(本居宣長記念館)
『心力をつくして 本居宣長の生涯』(吉田悦之著・取り扱い:本居宣長記念館)