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令和6年度 夏の企画展

令和6年度 夏の企画展

 「注釈作業には早くから取り掛かった方がいい。注釈をすることで物事への理解も深まる」
 自著『うひ山ぶみ』で、そのようにアドバイスする宣長の生涯は、本の執筆とともに歩んできたといっても過言ではありません。刊行されたものは50種類ですが、それ以外にも多くの著作が残っています。
 歌会仲間と歌集を読み、注釈を書く。詠んだ和歌がたまれば、歌集を作る。
 調べたり考えたりしたことはノートに書き残しているから、それを集めて随筆に。
 けれど、なんといっても一番は『古事記伝』。
 日本現存最古の歴史書『古事記』を解読するためには、調べることもたくさん。
 五十音に日本語文法、祝詞研究、根底にある考え方、『古事記』の正しい読み方など……調べて分かった内容は、『古事記伝』以外にもそれぞれの研究成果として執筆しました。
 有名な物からあまり知られていない物まで、宣長の著作を、テーマごとにご紹介します。
 何を考えて何を研究した人なのか、お分かりいただけるはずです。

会  期  2024年6月4日(火)~9月8日(日) ※休館日を除く
会  場  本居宣記念館 2階展示室
展示総数  82種137点(内、国重要文化財40点)予定

●展示説明会
6月15日(土) 7月20日(土) 8月17日(土) ※いずれも11:00より(要入館料)
●本居宣長記念館
【休 館 日】月曜日(祝日の場合は翌平日)
【開館時間】9:00~17:00(最終入館時間16:30)
【入 館 料】本居宣長記念館・本居宣長旧宅「鈴屋」共通
      大人 400円 大学生等 300円 小人(小学校4年生~高校生) 200円
【住  所】松阪市殿町1536-7
【T E L】21-0312
        宣長の著作
                                                                                      ※重文=国重要文化財

古事記伝(こじきでん)
全44巻。寛政10年(1798、宣長69歳)に成立。
寛政2年(1790)に最初の5巻が刊行され、宣長没後も刊行作業は継続。文政5年(1822、宣長没後21年)に最終の5巻が刊行された。それまで『日本書紀』の影に隠れていた歴史書『古事記』を、初めて全編にわたり解読・注釈。宣長の著書の中でも非常に有名な大著である。
本展では、巻23・17の自筆再稿本(重文)と巻17~19・23~24・25(合冊)、27の自筆草稿本(重文)を展示予定。



直霊(なおびのみたま)
1冊。明和8年(1771、宣長41歳)に成立。
宣長が考える『古事記』世界の根本原理を説く。3回にわたり改訂され、単著でも記される他、『古事記伝』巻1刊本には『直毘霊』として収載された。世に起こるすべてを神の御仕業として治まってきた日本を尊び、善悪是非を理屈で論ずる中国風の考え方を批判する。ただし、「正しい≪神の道≫は我が国のみに伝わり、外国ではすでに失われている」とする内容は、多くの批判を呼んだ。
本展では、自筆稿本(重文)を展示予定。

字音仮字用格(じおんかなづかい)
1冊。安永5年(1776、宣長47歳)刊行。
中国の『韻鏡』(中国の韻図)などを使用し、漢字音をどのような仮名で書き分けるべきかを論じた書。特に注目すべきは「おを所属弁」。鎌倉時代以降、五十音図のア行にヲ、ワ行にオが置かれていたが、宣長はこれを『和名類聚抄』の地名表記などを根拠に現在の形に修正した。
現代の国語学にも影響を与える著書。
稿本1冊を展示予定。

続紀歴朝詔詞解(しょっきれきちょうしょうしかい)
再稿本は2冊。刊本6巻6冊。内容にあたる『宣命抄』は天明8年(1788、宣長59歳)に成立、享和3年(1803、没後2年)に刊行。
『続日本紀』(797年成立)に載る62編の宣命の注釈書。宣命は様々な本に記録されるが、宣長は『続日本紀』収載のものを高く評価していた。詔(みことのり)とは天皇のお言葉で、宣命と言う。『古事記』解読には宣命研究が必要だと考えた宣長が、まずテキストの『宣命抄』を作成。『古事記伝』終業後、単著としてまとめた。宣長の宣命研究の集大成。本展では、自筆再稿本1冊と刊行の際の校正刷りを展示予定。



馭戎慨言(ぎょじゅうがいげん)
稿本は1冊。刊本は2巻4冊。安永7年(1778、49歳)成立。
古代崇神朝(崇神天皇)から豊臣秀吉の日本と中国・朝鮮に対する外交史を論ずる。中国は自国を中華と呼び周辺諸国を見下すが、書名は逆に中国・朝鮮を戎とする。ただし、日本外交の情けなさへの歎きも込められている。自国中心主義とも捉えられるが、名分を正すということは儒教の考え方でもあるので、宣長の医学の師である武川幸順は本書を絶賛し、皇室にも献上しようとした。自筆稿本を展示予定。



秘本玉くしげ〔玉くしげ〕
再稿本は2冊。刊本は1冊。
天明7年(1787、58歳)成立。
紀州藩の藩政改革のための提言書。当時一揆などで混乱した情勢であった藩は、藩政について意見を集めており、天明7年12月、門人であった紀州藩勘定方役人の勧めで藩主徳川治貞へ奉った。内容は、藩政のスリム化や百姓一揆などへの対処法。世間の儒学的解決策を批判し、農民の生活がいかに厳しいかを訴え、「いづれも下の非はなくして、皆上の非なるより起れり」と指摘する。
紀州藩用に書かれた本書は公開に差し障りがあるとして、宣長生前は刊行されず、刊行は宣長没後50年とかなり遅れた。自筆再稿本1冊を展示予定。



玉勝間(たまがつま)
15巻15冊(内1冊目録)。
1005項目からなる随筆。
宣長のノートに書かれた書物の抜き書き、地名や語彙の考察、学問論などが展開されており、宣長の意識や考え方を知る上で重要な著書。「玉」は「美しい」、「かつま」は「竹篭」の意味。書名は「言草のすゞろにたまる玉がつまつみてこゝろを野べのすさびに(思いの他言葉がたまったので、美しい竹篭に摘み入れよう。そうすれば、よい気分転換にもなる)」の巻頭歌から。刊行は寛政7年(1795)から宣長没後の文化9年(1812)まで続いた。自筆草稿本および版本を一部展示予定。



うひ山ぶみ(ういやまぶみ)
1冊。寛政10年(1798、宣長69歳)成立。
翌寛政11年刊行。
『古事記伝』を書き終えた宣長が、門人たちの要望に応じて執筆した学問入門書。
何を学ぶかは各々の意思次第だが、「倦まずたゆまず」努力することが最も重要で、始めるのが遅かったとか才能の有無は関係ない、と述べる。また、その上で『古事記』『日本書紀』の2典を読み、儒仏に影響されない真の古道を研究することなど、宣長自身の体験をもとに学びの姿勢を述べる。自筆稿本を展示予定。


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