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平成15年度 夏の企画展

          夏の企画展    宣長の見た「日本」

期間 2003年6月20日(金)~10月5日(日)


☆ 展 示 の 趣 旨

 今回の展示では、宣長の出発点とも言える少年時代の力作「大日本天下四海画図」を中心に、修学期の資料や画像資料を多く展示し、宣長の思考法と関心の推移を見る。
 多くの人にとって「国」とか「世界」が、自分の住む場所を大きく逸脱することのなかった時代にあって、「日本」と言うレベルで考えること、また、常に「日本」と「世界」と言う対比の中で物を見続けた宣長だが、その研究は常に自らの関心を育てていくことから始まる。「日本」という問題も、人は何で歌を詠むのだろうと考え続けて、やがて「和歌」と言う名前からの延長線上にある。
 一方、時代は幕府や各藩の経済的な行き詰まりと、異国船来訪という外圧、また庶民の間には旅の機会が増え、名所図会など画像資料が氾濫してくる。情報化時代の到来である。
 松坂にも各地、各国の情報が続々と入ってきた。だが宣長はそんな時流に流されることなく、集められたたくさんの資料を取捨選択しながら巧みに利用し、自分の研究を続けていく。
 宣長の学問の中核にある「日本」問題と、その研究の舞台裏を69種85点の資料で見て頂きます。


☆ 今回の展示では・・


1,中国4000年の歴史を10mに凝縮

 今回の展示では、宣長少年時代の力作の数々をお見せします。たとえば、15歳の時に書いた全長10mの中国歴代王朝の系譜「神器伝授図」(シンキデンジュノズ)。17歳の時の「大日本天下四海画図」は、縦1.5×横2mの日本地図です。
「神器伝授図」
「大日本天下四海画図」 (国・重文)
2,宣長はABCをどう発音したのかな?

 「アルファベット図」(一文字抜けているけどわかるかな)、「地球一覧図」、「蝦夷(エゾ)図」など鈴屋に置かれた周辺諸国、異国情報のいろいろをお楽しみ下さい。


3,地は球だ!

 宣長の学問は、自分が抱いた疑問を大事に追求していったことから始まった。研究も生活密着型。毎日の多くの見聞が研究に生かされた。体験を生かす。これが宣長の学問。今回の展示では、22歳の時に登った富士山での体験から、地が球であること(地球)納得したと書く『九山八海解嘲論の弁』という難しい名前の本を出します。


4,月食って何だ? 暦以前の暦は?
『真暦考』(国・重文)
 天明2年、八月十五夜に月食があった。明月に月食をみたことをきっかけに日月の運行をまとめてみたのが『天文図説』。よく御覧下さい。針の穴があります。コンパスを使って描いているのです。
 「暦」は大陸から渡来した物だ。ではそれ以前の日本人は、どうやって四季の移ろいや時間を把握していたのだろう、その疑問を追求したのが『真暦考』(シンレキコウ)です。
5,克明に国名を調べる
『国号考』(国・重文)
「和歌」の「和」は「日本」だが、「日本」と「倭」と「和」、また「ヤマト」などいろいろな国名の相互関係は?
 国の名前についての疑問を早くから持っていた宣長は、読書で関係記事が出てくるたび抜き書きし、それがまとめられて『国号考』という本になります。宣長の関心の持続性に驚いてください。また本書は、言葉が使用される時・場所・場合(TPO)を見失わない宣長の文献学研究の一大成果でもあります。
6,参宮客に手紙を届けて貰う

 宣長が通信教育で勉強したことは有名だが、自分が先生になってお弟子さんたちに教える時にも「通信」つまり手紙を積極活用した。今回展示の「栗田土満(クリタ・ヒジマロ)書簡」の書き出しは「参宮幸便(サングウコウビン)一筆啓上仕候」。この手紙は静岡から伊勢神宮参拝客によって運ばれたのだ。来訪者の話を研究に活用した、手沢本『古事記』書き入れも忘れずに見てください。



7,未確認飛行物体?

 59歳の時、宣長は空に光り飛ぶ物を見た。日記にはその記事が書かれているが、驚くのは観察が細やかなことだけではない、各地でも同じ物を見たと言う証言を集めていることだ。そんな情報を集める宣長、また集められた場所「松坂」。『古事記伝』が完成後200年を経過しても古びないのはそのあたりに秘密が隠されていそうだ。



8,どこの国でもその国の「魂」と言うやつが「臭気」だ
『呵刈葭』(国・重文)
 宣長が六十一歳像に「敷島の大和心を人とはば」と言う歌を書いたのに反発して、上田秋成は「どこの国でも、其国のたましいが国の臭気」だと批判。日本人だから「日本」と言う視点を失ってはいけないという宣長。それぞれの国が魂を主張し出すとろくなことがないと言う秋成。皆さんはどう思われますか。
9,宣長さんの身長は?

 宣長のオリジナルデザインの着物「鈴屋衣」を当時の寸法書や実物をもとに呉服商・金子重夫氏(伊勢市)が復元制作。宣長さんの身長を想像してみてください。


10,人はなぜ歌を詠むのだろう

 処女論文『排蘆小舟』(アシワケオブネ)以降、宣長はこの問題を考えました。そして「物のあわれを知る」ことから歌が生まれるのだと言う結論に到達します。宣長が愛読した『源氏物語』も「物のあわれ」の世界だと宣長は言います。
 「あわれ」の発見。この「あわれ」が時空を超えて宣長と竹内浩三を結びつけます。「戦死やあはれ」の詩句で有名な詩人・竹内浩三(伊勢市出身)の「日本が見えない」など遺稿を展示します。

本居宣長記念館
〒515-0073
三重県松阪市殿町1536-7
TEL.0598-21-0312
FAX.0598-21-0371
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