本文へ移動

平成17年度 春の企画展

         春の企画展  「神宮のおかげ 宣長と参宮」

期間 2005年 3月8日(金)~ 6月5日(日)
【休館日】月曜日
【展示点数】86種95点。国重要文化財40種。
【入館料】大人300円・小学4年から高校生100円。団体割引有り。




☆ 展 示 の 主旨

 今年は、宝永のおかげ参りから300年。伊勢や二見では数々の催しが計画されています。
 宝永2年(1705)のおかげ参り、推定参詣者362万人。宣長が記録に基づき書き記した数です。ちょうど母・勝が生まれたこの年の騒ぎを、宣長はどのような気持ちで記録したのでしょうか。その次の明和8年(1771)のおかげ参り、この時には宣長は自分の目で伊勢に向かう大群衆を見ています。
 18世紀、日本はいよいよ近代への道を歩み始めます。そのきっかけの一つが旅人の存在でした。毎年、春から初夏にかけて伊勢の地には全国から多くの参宮客が訪れます。
 宣長の師・賀茂真淵もその一人。やがて参宮客が宣長のもとを訪ね、諸国からの手紙を届けるようになりました。また参宮客の伝える見聞は貴重な情報源でした。伊勢の神宮の存在は、直接、また間接にさまざまな影響を宣長の生活や学問に及ぼします。
 今回の展示では、宣長と神宮との関わり、また参宮街道沿いに住んでいたことで受けた数々のおかげ(恩恵)を検証し、伊勢参宮にまつわる数々の資料を展示いたします。
 ぜひご覧下さい。
 

 

☆ 主な展示品   ◎ 国重要文化財

    「伊勢両宮図」    2枚、本居宣長写
    『伊勢二宮さき竹の弁』    1冊、宣長著(内宮外宮論)
    『日記』    1冊(明和のおかげ参り条)
    「栗田土満書簡」    1巻(参宮幸便云々)

『玉勝間』    版本1冊(宝永のおかげ参り)
「御師邸内図」    1面【小津コレクション】
「荒木田経雅宛書簡」    1幅
「おかげ参りの図」    1幅、正根画、本居有郷賛
「本居家の神棚で祀られた神宮お札」 1体
「松坂町絵図」    1舗、本居春庭写


☆ 展示のご案内  

1.本居宣長(もとおりのりなが゛・1730~1801)は江戸時代中頃の人です。『古事記』や『源氏物語』を研究しました。桜が大好きでした。身長は170cm位かな。
 ※こんな顔です「本居宣長四十四歳自画自賛像」
 
2.松坂(阪)は参宮街道に沿った細長い町。宣長の生家は街道沿い「本町」です。
 ※「松坂町絵図」/15歳の宣長が作った『松坂勝覧』
 
3.生まれた家は木綿商。でも子どもの時から商売より本に夢中だったようです。
 ※小さな「そろばん」/精密に描いた「新内裏等御造営図」 / 長さ10メートルの「神器伝授図」(15歳)/私家版京都百科『都考抜書』

4.本好きな息子に困った母は、医者になるように勧めます。
 
5.京都で5年間医術を勉強した宣長は28歳の時に松坂魚町で開業。亡くなる72歳まで町医者として活動します。
 ※100種の薬と調剤用のスプーンを入れた「久須里婆古(薬箱)」 /遠くは伊勢まで往診に、医療帳簿『済世録』 / 長期服用するとよく
  効くよ「薬の広告」

 
6.人はなぜ歌を詠むのか。『源氏物語』に引きつけられるのはどうしてか。そんなことを考えていた宣長は、その秘密は「日本人の心」にあると考えます。
 ※なぜ歌を詠むのか『排蘆小船』/愛読の証し『源氏物語年紀考』 /日本人の心の探究『石上私淑言』
 
7.では「日本人の心」を知るにはどうすればいいのだろう。
『古事記』の登場です。『古事記』は奈良時代712年に稗田阿礼と太安万侶により書かれた現存最古の歴史書。この本には儒学や仏教の影響を受ける前の日本人の考え方や信仰、宇宙観が書かれていると確信したものの難しくって読めません。
 ※びっしり書き入れ『古事記』
 
8.困っていた宣長の前に現れたのが賀茂真淵(かものまぶち)さん。参宮の帰り松坂に泊まった真淵に対面し、『古事記』を読みたいと打ち明けた宣長に真淵は「まず万葉集を勉強しろ」と言い、質問に答えることを約束してくれます。
 ※「松坂の一夜」/『小学国語読本』
 
9.宣長は通信教育で勉強しました。『万葉集問目』は宣長の質問に真淵が回答しています。
※わからないときは「参宮人などに問い給え」と書き送った『万葉集問目』/もう年じゃとぼやく「賀茂真淵書簡」
 
10.文字を見ていると思います、宣長は学問する機械みたいな人ではなかったかと。一旦机に向かうと一切の感情がなくなり頭のデータベースが起動します。
 ※内容よりまず筆跡をご覧下さい『古事記伝』、『古今余材抄』 /頭の中のデータベース『年代記』/「かな」の出る和歌を網羅した『詞の玉緒草稿』/日本の国号の用例集「古書抜き書き」
 
11.昼間は医者、夜は研究、その間には家計簿も書きました。
 ※宣長の書いた家計簿『諸用帳』/娘の婚儀録『美濃能登婚儀録』 /桜の開花時期や立春からの日数のメモ「花の期覚」
 
12.読書に疲れたときには、さやさやと鳴る柱掛鈴で心を癒やしました。
 ※「柱掛鈴」など
 
13.松坂で医者を営む宣長に諸国の情報や珍しい本を教えてくれたのが伊勢神宮の御師たちです。『古事記』に出てくるクラゲ、その生態を教えてくれたのも長崎から帰った御師・荒木田尚賢です。
 ※クラゲのレポート「荒木田尚賢書簡」/ 御師に借りた本『御湯殿のうへの日記』など
 
14.納得のいくまで考え、また質問する。これが宣長の勉強方法です。真淵先生を困らせもしましたが、反対に人に教えるときにもこの流儀で望みました。
 ※『万葉集問目』/ 「この前の答で納得できたかい」と尋ねた「荒木田経雅宛書簡」
 
15.参宮人が手紙を運んできてくれたこともあります。
 ※参宮客が静岡から届けてくれた「栗田土満書簡」。
  冒頭に「参宮幸便」の文字。

 
16.宣長42歳の時、「おかげ参り」が起こります。おかげ参りは、江戸時代に約60年周期で起こった伊勢神宮への集団参詣です。東北を除く全国から約200万人の老若男女、犬までが伊勢に向かい、松坂でも人があふれ、道を横切ることもままならなかったと言います。伊勢神宮に向かう熱狂した大衆を目の当たりにしたことは、確立しつつある宣長の思想に「神の存在」と言う点で大きな影響を与えたようです。
 ※手に柄杓、のぼりを立てた「おかげ参りの図」、「兎ののぼり」/夥しい群衆に目を見張った「宣長日記」
 
17.研究成果は公開を。研究したらそれを本にまとめる。これは師と仰いだ契沖や真淵も同じです。でも大きく違っているのは、それを出版したことです。生前刊行分で30種、没後の分まで合わすと50種に及びます。1種でも『古事記伝』のように44冊ありますから膨大な数です。徹底して推敲し清書する。後の補筆訂正はほとんど無いという完成度の高さ。「学問機械」宣長先生の面目躍如といったところです。
 ※『源氏物語玉の小櫛板木』/『古事記伝板木』『古事記伝』版本
本居宣長記念館
〒515-0073
三重県松阪市殿町1536-7
TEL.0598-21-0312
FAX.0598-21-0371
TOPへ戻る