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令和2年度 夏の企画展

字が美しい、ただそれだけで、歌や学問にも品格が出る 
 現在でも見学者の目を魅了し、「これが直筆ですか?」と驚かれることも多い宣長の筆跡。しかし、「自分は字が下手だから心苦しい」というのが当人の本音だったようです。
 宣長の字は書くものの種類によってモードが切り替わります。和歌を書くときはやわらかな流れの仮名。本業医者の記録や家計簿は、スピード感ある走り書き。若い頃のノートや書写は、こんなにも小さな文字で書く必要がどこにあるのかとため息が出るほどの小ささ。
 大著『古事記伝』は、教科書の風格漂う印刷のような楷書。行も歪まず、誤字も少ない。どうしてこんな字が書けるのでしょう。
 今回はそんな宣長をはじめ、門人、真淵先生、本居家の家族の文字も展示いたします。一見同じような本や手紙の字も、じっくり見れば、書き手によってそれぞれに特徴や癖があることに気付かされるはず。筆跡の魅力をご紹介する企画展です。
  「水茎の跡」とは、筆で書いた文字や、書かれたもの(手紙など)を意味する言葉です。

    期  間   2020 年6 月9 日(火)~ 9 月6 日(日)
    展示総数   81 種88 点 ※うち国重要文化財43 種
                     (変更の場合があります)

●展示説明会
     毎月第三土曜日に展示説明会を開催しておりますが、新型コロナウィルス感染症の拡大防止の観点より、6 月の説明会は中止いたします。7 月以降の開催につきましては、状況を鑑み判断いたします。ご理解・ご協力をお願い申し上げます。
●本居宣長記念館【休 館 日】月曜日(祝日の場合は翌日)
    【開館時間】9:00~16:30
    【入 館 料】 本居宣長記念館・本居宣長旧宅「鈴屋」共通
       大人 400 円 大学生等 300 円
       小人(小学校4 年生~高校生) 200 円
    【住  所】松阪市殿町1536-7
    【T E L】 21-0312
☆ ご入館記念 ☆ 6 月23 日(火)~
 ご希望の方に、記念館育苗のテイカカズラ(ポット苗)を進呈いたします(数に限りあり)
ちょっと、小話「宣長が書く」

●注釈史に燦然と輝く『古事記伝』

 本居宣長の随筆『 玉勝間(たまがつま)』には、次のように書かれています。
何よりもまず、先ず字は上手に書かねばならない。歌を詠んだり学問する人が拙い字を書くとそれだけで歌や学問まで胡散臭く見えてしまう。内容と文字は関係がないというのも確かに理屈ではあるが、やはり割り切れぬ気持ちが残る。私は字が下手で、いつも筆を取るたび、大変悔しい。こんなことは言っても仕方ないと思うが、それでも人から所望され、仕方なしに短冊を一枚書いてみるが、それを眺めると、我ながら、大変見苦しくぎくしゃくしている。人はこれをどうみるのかと思うと、恥ずかしさで胸が痛くなる。若い時にどうして手習いをしなかったのかと大変悔まれる。

                  (『玉勝間』巻6「手かく事〔288〕」)
 宣長は、自分の字にあまり自信がなかったようです。確かに宣長を書家として評価する人はいません。芸術の域に達するような劉麗さはないからでしょう。
 宣長の字はもっとシンプルで実用的。まるでコンピュータのようなのです。しかも、いくつものスイッチがあり、作業によってモードが切り替わります。日々の記録を綴るとき、歌を詠むとき、書写をするとき、手紙を書くとき、学問するとき……。これらのモードが変わると、不思議と筆跡も変化するのです。
 特に、『古事記伝』は特別。きちんと下書きを書いて考えを整理した後に清書します。調べた結果、考えが変わり修正したりはしていますが、誤字はあまりありません。その筆跡は見学者が「印刷か」と見誤るほどです。宣長は「手かく事」で「拙い字を書くとそれだけで胡散臭く見える」といいますが、反対にこれだけ綺麗に書かれていると、それだけで説得力が増しそうです。丁寧さは、宣長の謹直さの証ということですね。
●書いて書いて書き続けた、72 年

「手かく事」(随筆『玉勝間』巻6)を読むと、宣長が手習いをしていなかったかのように思えますが、そんなことはありません。むしろ、かなりみっちりやっていました。
 宣長8 歳の8 月より、西村三郎兵衛を師とし、「いろは」、「仮名文」、「教訓之書」、「商売往来」、「状」、及び『千字文』の「天地」等を習います。特に『千字文』は師を代えて半元服の13 歳まで続きました。これでも宣長は十分ではないというのです。
 中には、お寺で赤穂浪士討ち入りのお話を聞かせてもらい、それを家へ帰って記憶をもとに書き取ったものまで残っています。その記憶力と、書かれた蟻の行列のような文字に、大人たちは目を剥きました。

 宣長は、記録の人でもありました。13 歳のとき、生まれた日まで遡った「日記」を書き始め、生きた記録は無くなる13 日前までのものが自筆で残っています。

●宣長ブランド― みんながほしい!宣長先生のお手
 宣長の本業は医者です。そこには、何ら疑いの余地はありません。しかし、宣長が『古事記伝』を書き上げていくにつれ、国学者として名が知られるほどに、「有名人宣長さんになにか書いてもらおう」「宣長先生のお手をぜひ頂きたい」という人々からの依頼がくるようになっていきました。宣長自身も「手かく事」の中で、「人から所望され、仕方なしに短冊を一枚書く」と書いていますが、晩年にはそんな「 認物(したためもの)」と呼ばれる依頼の類がすこぶる多く、次第にその収入( 染筆料)が本居家の収入の一端を担うようになっていきました。
どうやら、宣長が画賛(絵の上の歌や詞書き)を書いた作品は、結構人気があったようです。
中には、こんなに大きい扁額を書いてあげたこともありました。
◎『諸国文通贈答并 認物扣』は、そんな人気筆者・本居宣長の染筆の記録ですが、ここでも宣長の「記録の人」という側面が出てきます。染筆したのも、家計簿や日々の記録も宣長製。筆跡は変わっても、スタイルは学問と同じで、生真面目なのです。

このほか、"筆跡"の魅力がたっぷりつまった、宣長や家族、門人自筆の資料を公開いたします。
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