midashi_b 宣長の夢

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 宣長は秘かな夢があった。百科全書編纂である。

 「もろもろの物のことをよくしるしたる書あらまほしき事」(『玉勝間』巻10)で宣長は、

  「よろづの木草鳥獣、なにくれもろもろの物の事を、上の代よりひろめ委しく考へて、しるしたる書こそ、あらまほしけれ」
 と述べ、わが国には平安時代に編纂された『和名抄』だけしかないと嘆く。

  これは、あらゆる動植物、またいろいろな物の事を、時代の変遷をも視野に入れて記述した本、つまり百科事典待望論である。

  『古事記伝』執筆の時に、考えてもどうしようもなかったのが動植物名だった。知っている人に聞くしかない。実際に、いろいろな人から情報を得るのだが、その苦労の末の、百科事典待望論である。だが実は、それだけではない。
 既に10代の頃から宣長には、類纂趣味とでも言うべきものがあった。知識・情報コレクションだ。京都に関する文献を集めた『都考抜書』、書名を集めた『経籍』、和歌に関する抜書『和歌の浦』と、宣長の学習は事や物の名前、記述を集めることで進んでいった。また『事彙覚書』は、清造翁が「乾坤以下廿二部門に言語事物等を集めたる書」と仮称したように、北斗、天地霊、二十八宿から火葬、宣命の紙の色が宮廷と伊勢神宮、賀茂社でそれぞれ異なること、翻訳の名義に至る様々なことを書き抜き分類している。

 その後も宣長は、自家製古語索引『古書類聚抄』全10巻、日本の年号をまとめた『年代記』など研究に必要な参考図書を作成している。

 誰かが、古典から現代の本まで調べ、この『和名類聚抄』の代わりとなる本を作ることを願い、また、自分も早くから志だけは持っていたのだが、簡単なことではないので片手間仕事では、実行することも出来ず、今となっては、老い先短いためにもはや無理なので、これからの人のために、提案しておくと言う。

 72歳の秋、宣長は最後の力を振り絞るかのように『鈴屋新撰名目目録』の稿を起こした。だが、その一ヶ月後に宣長はこの世を去る。
 百科全書編纂という、見果てぬ夢を宣長は生涯をかけて追い続けたのであろうか。

【原文】
「もろもろの物のことをよくしるしたる書あらまほしき事」抄

「今いかで古事記書紀万葉集など、すべてふるきふみどもをまづよく考へ、中むかしのふみども、今の世のうつゝの物まで、よく考へ合せて、和名抄のかはりにも用ふべきさまの書を、作り出む人もがな、おのれはやくより、せちに此心ざしあれど、たやすからぬわざにて、物のかたてには、えしも物せず、いまはのこりのよはひも、いとすくなきこゝちすれば、思ひたえにたれば、今より後の人をだにと、いざなひおくになん」


>>『和名類聚抄』
>>『都考抜書』



(C) 本居宣長記念館


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