帆足長秋は、宣長の主要著作のみならず、蔵書への書き入れも写している。今の人ならアルバイトしてお金を貯めて本を買えばよいと思うだろうが、当時は本は写すものというのがむしろ一般常識だったのかもしれない。
コピーのなかった時代、すべての勉強や学問は写す事から始まった。宣長も生涯にたくさんの本を写している。たとえば国学の先駆者契沖(ケイチュウ・1640〜1701)の本も大部分は自分で写した。忙しくなってからは息子の春庭らの手を借りて、また人を頼んで写させているが、それらと宣長自身の写本を比較してみると、宣長の写した方が正確で、字もていねいだ。宣長の性格がそのまま文字に現れている。
宣長の写本で一番早いのは14歳の時の「円光大師伝」で、50代からは、『本居宣長随筆』というノートに写すくらいで、あまりまとまった本は写していない。門人に手紙を書いたり、また自分の研究のまとめをしたりしなければならなくなったからだ。
現在残る宣長蔵書を見ても、写本の割合は高い。
もちろんそれまでの時代に比べれば、出版物は多くはなっている。特に宣長の著作はまず刊行されるものと考えてよい。だが、高価で、出版まで時間がかかる。
それに、写す喜びというのも忘れてはならない。どうやら長秋にとって、松坂の宣長先生の傍で本を写すこと自体が喜びだったようだ。
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「帆足長秋」
(C) 本居宣長記念館
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