midashi_b 歌合の謎

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 和歌を楽しむ方法はいろいろある。

 一人で楽しむならば「百首歌」など。グループならば、決められた題で歌を詠む「兼題」や、その日の自由詠のような「当座」、また題をくじのように引く「探題」、また狂歌や沓冠などことば遊びのようなものまで実にさまざま。なかでも、宣長一門がしばしば行ったものに「歌合」がある。

 「歌合」とは、歌人が右と左に別れて歌を詠み、判者が勝ち負けを決める一種の遊び。平安時代以来、宮廷や貴族の間で流行した。宣長一門に限ると、名古屋や津や松坂の人の歌が競うことがあり、事前に歌を募っておいてそれを配列したらしく、実際に一堂に会して行うものではなかったようだ。詳しいことは分からない。

 また、宣長一門の「歌合」では、宣長や春庭が判者になることが多いが、その写本の末には判者の歌が添えられることが多い。例えば、石水博物館に「鈴屋翁判歌合」がある。写本で2冊。中に、寛政2年10月の日付があり、21組で競う(二十一番)。作者は直章、常成。題は「船中時雨」。末に次の3首が載せられる。

   船中時雨
 山本のあけのそほ船これも又今一しほとしくれきにけり

   遠近落葉
 冬くれは同しむかひの山の名に小倉の山もちる紅葉かな

   乍立帰恋
 うしつらしよりて音なふこたへたになくなくかへる槙の板戸は
                         宣長

 最初の「山本の」の歌は、寛政2年12月の詠である。1首目の「冬くれは」は、2句目が「さそふむかひの」と変わるが1首目と同じ時の歌である。3首目は『石上稿』では確認できない。
 これらの内、題が同じものは判をしたときに詠んだ歌と推測されるが、それ以外は新作かそうでないのかは分からない。何れにしても、歌合の判をした時の特別の感慨を詠んだものではなさそうだ。



(C) 本居宣長記念館


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