植松有信
(ウエマツ・アリノブ)
宝暦8年(1758)〜文化10年(1813)6月20日。享年56歳。父が浪人したために名古屋で板木師を職業としていたが、『古事記伝』の刊行に関わってからは、宣長学に傾倒し、寛政元年(1789)、本居宣長が名古屋に来た時に入門し、板木職人として宣長著作の多くに関わる。また、松坂や和歌山滞在中の宣長の下に来訪し勉学に勤しむ。師が没した時には山室山奥墓で7日間奉仕、『山室日記』はその時の記録。また『古事記伝』の版下を書き、『詞の八衢』に跋文を寄せる。門人の一人、小林茂岳を養子として迎える。墓所は名古屋市平和公園内称名院墓地。
>>「植松茂岳」
>>「宣長と旅する自画像」
>>「尾張国の門人」
版木職人・植松有信像
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(C) 本居宣長記念館
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