谷川士清先生略年譜 (33歳〜35歳)

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記号:○士清関係記事 ☆関係記事 ★不慮

1741年  元文6年・寛保元年 ◇33歳

○ 3月23日、門人上田図書助助秋、神道伝授の誓文を出す。

※ 1-4・1-47

○ 4月1日、松木主礼、神道伝授の誓文を出す。

○ 10月26日、山崎闇斎、玉木正英、松岡玄達本で
       『日本書紀』 に朱点書入
する。

※奥書「朱点拠下御霊社所蔵垂加翁本、以五十鰭翁本謄写之、又以埴鈴翁校之、寛保元辛酉十月廿六日記、谷川士清、同第三癸亥臘月、以五条天神社司所蔵御板卜氏古本、及松下氏所伝自卜兼魚之校本校正、并以臆見改訓点、加標注、士清、延享二年二月十八日校畢」(白石正邦所蔵)1-119・3-57

※『日本書紀』校合加筆は、奥書その後2回行われる。

○ 秋、『秦山集』写。

○ 11月、吉見幸和写『自従抄』書写。

※奥書「右尾州東照宮神主吉見氏之筆記吾先師初所伝也、如其晩年定説則在別記云、寛保辛酉之歳霜月日、谷川士清蔵」・「どういふ事情からか明かでないが幸和の筆写本を入手披見することが可能であった」3-251
『自従抄』は正親町公通等による慈遍『旧事本紀玄義』から仏教色を除いた再編本で三種神宝伝等載せる。吉見幸和(ヨシカズ・1673〜1761)名古屋東照宮神官の家に生まれる。玉木正英など師事するが、五部書や『日本書紀』神代巻を批判。→寛延3年


  1742 年 寛保2年 ◇ 34歳

○ 5月7日、門人日野造酒品幸、神道伝授の誓文を出す。

○ 秋、北山辺に紅葉狩り。
   「神無月里はしぐれのほどもなく夕日てりそふ山の紅葉葉」。

○ 11月21日、契沖校讐、今井似閑書入、
       樋口宗武注の 『万葉集』
(宗武蔵)の校注終わる。

※奥書「元禄二年己巳四月十九日校讐了、密乗末資契沖、元禄十三年庚辰九月九日書入、今井氏正徳二年壬辰秋七月以今井氏蔵本之代匠記校合之、樋口氏宗武、寛保二壬戌十一月二十一日以樋口氏蔵書校註畢、谷川士清」

※樋口宗武(1674〜1754)京都の人。名、宗武。号、花月堂。公卿千種有敬の家来。青蓮院流の書家。今井似閑蔵本を上賀茂社に納入するに尽力。著書『花月堂文』。「京師に樋口主水といへるは、似閑門人なるよし。此家に代匠記の善本、又講説を書入し万葉集など蔵せるよし。二十年前に自火に焼亡す。惜むべし。印行の改観抄は此樋口氏、屈景山子にはかりて校合せる所なり。写本に合せては其功見ゆ」(『近世畸人伝』「契沖」)。宣長も、士清が使用した本同系統の景山校合本で宝暦7年5月9日校合。


1743 年 寛保3年 ◇35歳

○ 1月7日、『神代紀藻塩草』5冊、『神武紀藻塩草』1冊を内宮文庫に奉納。

※受領書1-107

○ 正月、『亀卜紀元付卜氏考証』編纂。

○ 3月6日、両宮参拝。
     「石上ふるからすだく虫の声古く伝へし事もあるかに」。

○ 3月15日、石清水八幡宮参詣。
     「汲てしも神のちかひの岩清水つきせぬ世々の君がためしと」。

○ 3月25日、東照宮例幣使陣の座儀式拝見。

○ 3月、松木氏蔵『歌林樸◎(ソク)』『和歌宝樹』抄録、按文を示す。

○ 3月、『翁之伝』に加筆。

※奥書「寛保癸亥三月」4-No.7 →享保20年8月25日

○ 4月望日、門人長尾崇益徳祐、神道伝授の誓文を出す。

★ 4月、弟順吉没。

☆ 6月12日、村田元啓(有次)『翁之伝』を谷川翁から伝授し書写。

○ 6月28日、『亀卜伝口授』、『対馬亀卜』写。

○ 6月、『五部書弁儀』を書き、吉見幸和の「神道五部書」批判を批判。

※奥書「此書欲弁五部書而、誹議先輩誣其実者亦多矣、予繙閲之次批之上層如右、蓋有所不得己也、寛保癸亥六月日」岩瀬文庫士清自筆本。3-255

○ 8月15日、京都東山に遊ぶ。
      「千代もなをかはらで契れ此月に同じながめの今日の円居を」。

○ 11月3日、『万葉緯』、『風土記逸文』書写校合。

※『(万葉緯巻十八)諸書所證風土記文』奥書「寛保癸亥霜月三日校了、谷川士清、以振翁真筆宝暦辛巳春三月謄写之、尚賢、安永己亥四月以尚賢本写之、荒木田神主経雅、安永八年己亥十月廿八日課男春庭写之校合畢、本居宣長」(記念館本)

○ 11月8日、鈴鹿山を越えて帰郷。

○ 12月、五条天神社司蔵御板『日本紀』卜部氏古本、
      松下見林所伝兼魚本で校正。訓点を改め標注を施す。

※寛保元年10月26日条参照。五条天神は松原通西洞院にある。天使社とも。祭神少名彦名、天照大神、大己貴命。医道の祖神・おけら、小餅、宝船で有名。『日本書紀通證』もこの社蔵版。

○ この年、唐崎彦明参宮、士清宅に泊まる。



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