midashi_v.gif 質問

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 宣長と会った人は、康定や躬弦ならずとも、普段から疑問に思っていることを矢継ぎ早に質問をした。宣長は質問を大事にする人であった。思えば「物のあわれ」の説もそんな中から生まれてきた。

 ある日のこと、友人が、藤原俊成(シュウゼイ)の「恋せずは人は心もなからまし物のあはれもこれよりぞしる」と言う歌を示し、ここに出てくる「あわれ」という言葉には何か深い意味があるのか、と聞いた。
 この歌そのものは宣長も何度も目にしていたが、改めて考えてみると、この「あわれ」と言う一語により、和歌や『源氏物語』など物語を結ぶ一本の線がありありと浮かびあがってくることに気づいた。
 早速に、有り合わせの紙に書いたのが「阿波礼弁」(あわれべん)である。
 人の心は、嬉しいとき悲しいとき、いつも揺れ動く。その時に出る「ああ」という嘆息が、「あわれ」である。心の振幅の大きな時、その嘆息の声は歌となる。

 有名な「物のあわれを知る」説の誕生だ。
 この「物のあわれ」の発見も決して偶然ではない。一つには、京都時代からの和歌や物語についての問題意識が生み出したと言えるし、また質問を真剣に考えたことの結果とも言える。

  宣長への質問を集めたのが『答問録』である。


>> 「質疑応答の勧め」
>> 「安波礼弁」



(C) 本居宣長記念館


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