midashi_g.gif 小津清左衛門家と本居家

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 「三十郎法名宗心の主家にて大伝馬町一丁目に木綿店を営む小津三郎右衛門道休(松阪本町の人、本居宣長の先祖なり)より金二百両を借用して、大伝馬町の井上仁左衛門の紙店(通り三間、横町二間)を百三十両にて譲受け、三郎右衛門法名道休より其店の印(鱗に久)と小津といふ屋号は繁盛する目出度屋号なりとて許され、始めて小津屋清左衛門と称し、承応二年癸巳年(一六五三)八月九日大伝馬町一丁目に紙店を開業す、斯くて家城多兵衛を手代とし、弟長兵衛七郎右衛門を呼寄せ共に力を合せて経営せしかば、日に月に隆昌に赴き幾くもなく借用の二百両の外に一百両の礼金を添へて三郎右衛門法名道休に返済、茲に全く独立して営業することを得、遂に巨富を積み云々」『小津商店由来』(『松阪市史』12-270)

 「実は、この幸運な話がもちあがったとき、長弘は店を買い受ける資金らしい資金はもっていなかった。店の代金は百三十両だった。九年間働いてきたとはいえ、奉公人生活ではそんな大金はとてももてるものではない。困惑する長弘に力を貸してくれる人がいた。同じ松阪出身で平素から親しく、長弘の父の長継からも「長弘のことをよろしく頼む」と常づね依頼されていた小津三重郎で、彼が奔走してくれて、大伝馬町の有力な木綿問屋として知られているやはり松阪出身の小津三郎右衛門道休から二百両の融通をとりつけてくれた。道休も郷里の後輩の独立創業に手を貸してやろうと乗り出してくれたのである。乗り出してくれた三重郎は長弘の弟の孫大夫(後の長生)と妻が姉妹であった。そうした縁で長弘に大きな支援の手を差し伸べてくれたのである。/周囲の好意に囲まれて、清左衛門長弘は江戸大伝馬町一丁目に店を構えた。紙商小津清左衛門の創業である。承応二年(一六五三)八月九日、長弘二十九歳のときであった」(『温故知新−小津三百三十年のあゆみ』P3)

 「小津清左衛門家は、その先祖昌山玄久といふ者、本は森嶋氏也。始めて江戸大伝馬町一町目にて紙店を開く。然りと雖も力弱くして殆ど支え難し。是に於て宗心(小津三十郎・引用者注)の縁を以て【玄久の弟浄久は宗心の手代たりし也。其の妻と宗心の妻兄弟也】道休大徳の助力を願ふ。大徳之を憐れみ、若干金を補入して姑く自分の店と為し、鱗形久の字の識(しるし)を用ひ、小津氏と為給い、玄久に謂ひて曰く、此の店若し栄ふるときは則後汝が店とせん、若栄えずんば我が店と為さん。玄久其の厚意を感ず。其の後店稍栄ふ。是に於て店を以て玄久に返し与へ給ふ。是より彼の運上として毎年金三十両を本家に献ず。道休大徳晩年に至りて亦之を許し給ふ」(原漢文)『本居氏系図』「歴代手代略記」「小津三十郎」条(宣長全集・20-131)



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