本町。宣長生誕地。
実際生まれたのは新町の村田家かもしれないが、「生誕地」はここを挙げた方がよかろう。宣長も「生国者。伊勢州。飯高郡。松坂。本町矣」と書く。
参宮街道に面している。承応3年(1654)に道休が小津太兵衛より、魚町の宅地と共に買い取ったもので、寛保元年(1741)5月14日魚町への転居まで、宣長は僅か12年間だが、江戸店持商人小津家の本宅としては88年間に及ぶ。同年9月、義兄・道喜が家を本町・津嶋屋彦市に売却、残った宅地に借家3軒を建てたが、その後、明和8年春、中嶋屋治右衛門、桶屋八右衛門に土地建物を売却した。最近までニシキ古書店があった場所とされている。魚町の宣長宅(もとの隠居屋敷)とは背あわせの場所に位置した。今も旧宅跡の裏庭から背割り排水をはさんで見えるところだ。
【資料】
『日記』「生国者。伊勢州。飯高郡。松坂。本町矣。姓者小津氏矣。小津三四右衛門定利【法名道樹】二男。【実者長男也。長男者養子矣】母者。村田孫兵衛豊商【法名堅誉元固大徳】之娘【法名清誉光雲。俗名於勝】也。享保十五年【庚戌】五月七日夜子之刻【夜之九矣】誕矣。名号冨之助。【同姓八郎治(心誉道林)某所名也】」
『鈴屋・近鉄沿線風物誌、文学2』「宣長が生れたと推定される本町の小津家本宅のあとはいま貸本屋になて、店さきでは子どもがマンガを立ち読みしている・・」(昭和30年6月、足立巻一著)
(C) 本居宣長記念館
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