小津久足(オヅ・ヒサタリ)

 文化元年(1804)〜安政5年(1858)11月13日。享年55歳。松坂百足町の富商。通称、与右衛門、安吉、与吉、進(新)蔵。号、桂窓。文化14年、春庭に入門。また滝沢馬琴と親しく交わり、蔵書家として創作を側面から支える。文庫を「西荘(セイソウ)文庫」という。百足町のある西ノ庄にちなむ。墓は養泉寺。

 ところで、馬琴との初めての出会いが『馬琴日記』に出てくる。
文政11年12月4日、
「いせ松坂人大津新蔵といふ者、殿村佐五平紹介のよしニて来る。依之対面。雑談数刻、此節多務中、殆迷惑、やうやく帰去」

 ちょっとひどいね。小津を松坂では「オーヅ」と発音するので「大津」に誤ったのだろうが、でもこの後、馬琴にとって、資料面からも、また経済面からも一番大事な人になるなどとは、この時は気が付いていない。「西荘文庫」には馬琴の稿本、また書簡がおびただしく蔵されていたという。

 久足の宣長学批判については「 宣長と小津安二郎をつなぐもの」を参照してください。

 

「桂窓好み鯉の封筒」

「桂窓好み鯉の封筒」

「桂窓好み鯉の封筒」


> >「殿村安守」

> >「僕の友達」



(C) 本居宣長記念館


目 次
もどる