midashi_o.gif 尾張国の門人

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 尾張の門人は、天明4年に入門した大館高門が一番最初で、享和元年の桜山典直まで、合計88名を数える。このうち21名が田中道麿の門人、あるいは門人と推定される人である。横井千秋(推定)、渡辺直麿、稲葉通邦、植松有信(推定)、加藤磯足など錚々たる人物が名前を連ねる。道麿の影響の大きさが窺われる。

 また『新修名古屋市史』では次のように言う。

 「国学者の田中道麿は、明和の初めに名古屋に移住し、安永の初めごろから桜天神で和歌や国学の塾を開く。ここに、暁台門の都貢・羅城・亜満らが入門しているのは、興味深い事実である。寛政期には、士朗・亜満・臥央らの暁台門の有力者が本居宣長に入門している。宣長の和歌論は、万葉ではなく流麗な新古今を最高とした。暁台自身は道麿や宣長に直接入門していないが、「物のあわれを知る」という創作主体の論や作品の「風雅」や「風体」を論ずる宣長の文学論には十分関心があったと思われる。暁台の俳諧の特徴について、「優雅」「清明流麗」との評価がされるが、漢詩文・和歌・国学の展開という、名古屋の上層から中層にかけての文化状況が、「俗談平語」の美濃派や雑俳と異なった文芸的世界を創造する条件であった。」

>>「横井千秋」
>>「植松有信」
>>「加藤磯足」
>>「誰が真福寺本『古事記』を持ってきたのか?」
>>「宣長さんの名古屋地図」



(C) 本居宣長記念館


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