1704年、松坂では病家で調合するように通達が出る。これにより使用人のいない家では大変助かったという(『松坂権輿雑集』)。
宣長も薬箱を持って往診したらしい。
「ついで郊外に趨きて人の病を診、薄暮にしてまさに還る」
(須賀直見宛書簡・35歳)
「先日は貴辺へ療養に罷り越し候処、帰路差し急ぎ候品これあり」
(荒木田経雅宛書簡−内宮神主−・53歳)
『済世録』には1月28日「宇治泉館」とある。片道25km近くもある伊勢まで往診したのだ。やはり内宮の荒木田経雅を見舞ったこともある。
>>「荒木田経雅」
>>『済世録』
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