midashi_o.gif 大館高門(オオダチ・タカカド)

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 明和3年(1776)2月17日〜天保10年(1839)12月13日。享年74歳。門人(天明4年入門)。尾張海東郡木田村の庄屋木田家の次男。名、大煕、信煕。号瓊主、清蘆、梅の屋等。藤木田左市とも。最初、田中道麿に学び、道麿没後は宣長に師事した。医者をしたこともある。また後年は京に住んだ。宣長門人としては、大変熱心で、一族も門人の列に加えさせ、宣長の名古屋来訪時には、道中の宿を提供すること4度(寛政元年、同4、5、6年)に及んだ。その間には自宅で師・宣長の60歳祝賀会(現代のような宴会ではなく、歌会を中心としたのだろうか)を開催。寛政3、4年頃に、春庭が眼病治療のため馬嶋明眼院に入院した際には宣長の手紙を届けるなどその世話をした。木田村と馬島は約5km位しか離れていない。また、宣長の著作では。『仰瞻鹵簿長歌』や『手枕』。その他の本としては『口遊』等を自費で刊行した。
 但し、国学への関心を越えて、好事家的な要素も強かったことは否定できない。



>>「田中道麿」
>>「眼病治療の旅」



(C) 本居宣長記念館


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