midashi_o.gif 岡田頼母(オカダ・タノモ)

l_o3

 岡田頼母は、宣長門人の中で恐らく唯一人であろうと思われるが、切腹した人である。
 頼母(1763〜1836)は浜田藩家老。3,000石。本姓源。諱元善(モトヨシ)。字長卿、号秋斎。通称権平次。天明3年(1783)、21歳で宣長門人となった。寛政7年には妻・鍵子も入門する。因みに、浜田市に現在も頼母と夫婦合作の作品を遺す「玉春」は後妻。一旦は隠居するが、後、息子の早世で現職に戻り、天保の密貿易事件(竹島事件)により自刃する。享年74歳。
 長安院は5代松平康員(ヤスカズ)が宝永6年(1709)松平家菩提寺として開いた浄土宗の寺院で蛭子町にあった。松平家転封に伴い寺も移り、今は墓所だけが残る。この墓所も昭和58年7月23日、昭和63年7月15日、二度の洪水で被害を被ったが現在は修復されている。

「長安院」松平家の墓

「長安院」松平家の墓。
奥、向かって左端が康定。手前右端が家老岡田頼母の墓。
近くに康定妻の墓もある。碑面に嶺暁院殿祐誉愍念性貞大姉霊位と刻す。


>>「松平康定」
>>「宣長を援助してくれた人たち」
>>「小篠敏」



(C) 本居宣長記念館


目 次
もどる