midashi_g.gif 追廻門から吹上寺

l_g3

 追廻門は、僅かに残る和歌山城の遺構の一つであるが、解体修理をした時、朱塗りであったことが判明した。朱の門と言えば東大赤門が有名だが、それと同じようにこの門も御守殿門ではという説が出た。御守殿とは将軍の娘で三位以上に嫁いだ人を言う。該当するのは、初代藩主浅野幸長(ヨシナガ)の弟で二代藩主長晟(ナガアキラ)の奥方、家康の三女振姫である。振姫の最初の夫は、蒲生氏郷の子秀行。秀行と死別した姫は、やがて蒲生家から出て、浅野家に嫁ぐ。しかし藩主の子を生んだ振姫は、産後の肥立ち悪く亡くなる。
 今は、御守殿振姫の屋敷への門と言う説より、裏鬼門説が有力。

 この門を出ると、扇の芝。
「春雨の降ごとにみどりの色まさりてさながら青地の紙を張れりともいふべく、うらうらと和暖なる日近きあたりの童部ども招くとなしに寄合ひ菓子屯食等をとり出て野遊びのまねす」
と『紀伊国名所図会』に書かれている。
 ここから藩の医学館の跡を通ると、吹上寺はもう間近である。
 長晟妻振姫の遺骸を火葬した場所にその後、寺が建つ。吹上寺である。


> >「吹上寺」



(C) 本居宣長記念館


目 次
もどる