「即ち恋ほど人心を支配するものはない。その恋より更に幾倍の力を人心の上に加うるものがあることが知られます。
「曰く習慣(カストム)の力です。
我々の誕生は眠りと忘却にすぎぬ(「霊魂不滅を思う」ワーズワースの一節)
この句の通りです。僕らは生まれてこの天地の間に来る、無我無心の小児の時から種々の事に出遇う、毎日太陽を見る、毎夜星を仰ぐ、ここに於いてかこの不可思議なる天地も一向不可思議でなくなる。生も死も、宇宙万般の現象も尋常茶番となって了う。哲学で候うの科学で御座るのと言って、自分は天地の外に立っているかの態度を以てこの宇宙を取り扱う。
やがて汝の魂は浮世の重荷を背負い、習慣は、霜のごとく重く、まさに生命のごとく根深く、汝の上にのしかからん(「霊魂不滅を思う」の一節)
このとおりです、このとおりです!
「すなわち僕の願いはどうにかしてこの霜をはたき落さんことであります。どうにかしてこの古びはてた習慣(カストム)の圧力からのがれて、驚異の念をもってこの宇宙に俯仰介立したいのです」
「牛肉と馬鈴薯」国木田独歩
宣長のCD-ROMで独歩が出てきて驚かれましたか。
大人になると驚かなくなる、とよく言われるが、なぜ驚かないのか。宣長の思想からいけば、それが「からごころ」に毒されているからだ。世界は解釈がつく、不思議はないと平然と言い切る人がいるが、本当にそうだろうか。
「されば此天地も万物も、いひもてゆけばことごとく奇異からずといふことなく、こゝに至ては、かの聖人といへ共、その然る所以の理は、いかに共窮め知ることあたはず、是をもて、人の智は限りありて小きことをさとるべく、又神の御しはざの、限なく妙なる物なる事をもさとるべし」
『葛花』
「驚く」こと、これが宣長の学問の出発点であった。生きていること、また自分を取り巻く世界への純粋な驚き、それを宣長は大事にした人である。そこから全ては始まったとも言える。宣長には、百科事典編纂願望とも言えるようなものがある。少年の夢のようなものだが、この、知りたいという欲求を生涯失うことはなかった。
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