このCD-ROMの主人公。
本居宣長は、享保15年(1730)5月7日(現在の6月21日)、伊勢国松坂本町(三重県松阪市本町)の木綿商の家に生まれた。読書を好んだ少年は学問の道を選び、23歳の年に医学修行のため京都に遊学、28歳で松坂に帰り魚町で医師を開業。その傍ら、松坂の人に『源氏物語』などの古典の講義を行い、また自らも研究に励む。34歳の時、松坂に宿泊した江戸の国学者・賀茂真淵と念願の対面がかない、『古事記』研究の志を打ち明ける。師は激励し、入門と指導を許諾する。この二人の対面が「松坂の一夜」である。感奮した宣長は、以後、35年をかけて『古事記伝』44巻を完成する。また文学の本質は「もののあわれ」を知ることにあるとする『源氏物語玉の小櫛』などの文学説や、国語学の研究、紀行、随筆など、数多くの著作を残した。
宣長の学問により、人々は古典を再発見した。『古事記』の持つ価値、また『源氏物語』の面白さ、藤原定家の歌の味わい。また、宣長は、日本語の基準、たとえばそれまで不統一だった仮名遣いや文法、また五十音図を整然と説明した。そして、「日本」という自分の国の基準で、また言葉で、思想も宗教も、また日常生活から政治に至るまで説明することを提唱した。
その業績は今も日本文化史上に不滅である。
桜と鈴と歌を好み、松坂を愛した宣長は、終生この地を離れることなく、享和元年(1801)9月29日(現在の11月5日)、72歳の生涯を終える。墓は郊外の山室山と、菩提寺・樹敬寺(ジュキョウジ)にある。諡(オクリナ)は秋津彦美豆桜根大人、戒名は高岳院石上道啓居士。いずれも自分でつけた。
>>「宣長さんの履歴書」
>>「宣長さんの顔」
>>「宣長さん略年譜」
(C) 本居宣長記念館
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