midashi_g.gif 「松坂」から「松阪」へ

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 明治22年(1889)4月、市町村制が実施され、松阪と隣接5ヶ村の一部が合併して「松阪町」が誕生した。初代町長は大平孝則。町役場を日野町(駅前通り)に置いたが、明治26年の松阪大火があり、その後の明治27年、魚町と大手通りの交わるところにあった町会所に移り、大正15年(1926)現在地に移った。ここは大正4年まで山室山神社(現在の本居宣長の宮)があった場所である。明治32年頃の松坂町人口は14,114人。戸数は3,172戸。まだこの時期、奥墓のある花岡村大字山室(現在の山室町)、宣長の先祖が仕えた阿坂城のある阿坂村(現在の大阿坂町)などは町に入っていない。

 大正13年(1924)8月、23歳の梶井基次郎が殿町に住む姉の家に病気静養を兼ねて滞在した。その時の体験を描いたのが翌14年2月『青空』に発表した「城のある町にて」である。当時の町の様子が繊細な描写で描かれている。

「今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍を並べていた。
 白亜の小学校。土蔵作りの銀行。寺の屋根。そしてそこここ。西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑めいて、緑色の植物が家々の間から萌え出ている。ある家の裏には芭蕉の葉が垂れている。糸杉の巻きあがった葉も見える。重ね綿のような恰好に刈られた松も見える。みな黝んだ下葉と新しい若葉で、いいふうな緑色の容積を造っている。」
 昭和8年2月1日、市制を施行した。当時の市域面積は21.75km2、人口は34,546人。戸数は7,089戸である。その後合併を繰り返し、ほぼ現在の市域となったのは昭和32年10月1日である。

 現在の松阪の人口は125,225人、世帯数は45,192世帯である(2001年9月1日現在)。

【追記】
 松阪市は、2005年1月1日、近隣の飯南町、飯高町、三雲町、嬉野町と合併して市域が広くなりました。
 またこの時に、「松阪」の読み方も「まつさか」と清音に統一されました。
現在の人口は161,998人、世帯数は74,082世帯(2021年1月1日現在)です。

「梶井基次郎文学碑」
 
「梶井基次郎文学碑」


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