池山聡助氏は、荒木田経雅と薗田守良の二人を比較して、伊勢神宮を代表する学者であるが、経雅の『大神宮儀式解』は有名で、薗田の『神宮典略』はそうでもないのはなぜかと言い、次のように考える。
「その最大の理由は経雅卿翁が本居翁と時を同じうして生存し、翁の学徳を慕い来る天下の学徒に対して、それらの人々が参宮するたびごとに翁および大平より卿を紹介したためではなかろうか」
そして宣長の紹介でやってきた人々の名前を挙げる。松平康定、小篠敏、千家俊信、金原清方、高本順、長瀬真幸、酒居近麿、栗田土満、上田百樹、藤井高尚、橋本経亮。(「本居宣長翁と中川経雅」、『神道古典の研究』所収)
このCD-ROMでおなじみの人の名前が多いですね。
それはともかく、知人を紹介する、これは宣長だけでなく、その先生・真淵が熱心だった。
例えば、荒木田久老等の『元暦校本万葉集』調査に参加しろと勧めた。
また、加藤宇万伎と仲良くし、『古事記』研究を成就するようにと言う。
「こゝにも藤原宇万伎(ウマキ)【加藤大助といふ大番与力也】、わが流を伝へて、ことに古事記神代の事を好めり、いまだ其説は口をひらかねど、終にはいひ出べき人也、向来被御申合候而、野子命後は御此事をはたし給へかしと願事也」(明和4年11月18日付宣長宛書簡)
「併かの宇万伎、黒生などは御同齢ほどに候へば、向来被仰合て此事成落可被成候」(明和6年5月9日付宣長宛書簡)
ネットワーク、これが真淵、宣長の国学を広く浸透させる力となった。
学者は「孤」では無くなった。
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「荒木田経雅」
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「帰ってきた『古事記伝』」
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『元暦校本万葉集』
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「要注意人物」
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