宇治山田(伊勢市)の日本画家。
1879年(明治12)10月〜1957年(昭和32)
本名、寅太郎。家は高柳町で、代々古着商を営む。号、古衣庵。五瀬十峰堂。
早くから日本画家・磯部百鱗に師事して四条派流の画技を学び、
後に京都に出て竹内栖鳳に師事、また京都絵画専門学校に学ぶ。
大正時代の頃には、伊勢風俗を研究し、
「他人の企及し得ざるものあり。呉川の専売特許と称するも可ならん」
(『大正三重雅人史』)
と評され、大正5年の皇后陛下伊勢行啓の際には、
文展出品作品の中から、
宮川の部の絵巻物を献上する名誉に与った。
書は江川近情、和歌は井上頼文、俳句は大主耕雨に学ぶ。
狂歌では二一転作と号し有名であった。
本居宣長記念館所蔵作品は、
「御師邸内図」の他に、
やはり小津茂右衛門コレクションで、
「桐華鳳凰図」
絹本著色。署名「呉川写(落款)」。箱上書「桐華鳳凰図」。
箱蓋裏「大正四年御大典奉祝記念揮毫 川口呉川題」。 署名「呉川」。
がある。
>>「御師の台所」
(C) 本居宣長記念館
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