延享4年(1747)11月15日〜文化6年(1809)10月12日。享年63歳。尾張国中島郡、木曽川のほとりにある起(オコシ)宿(愛知県尾西市起)の人。家は本陣を営む。本姓、藤原。通称、梅之助、右衛門七、号は河の辺の翁など。父は右衛門七敏光。本陣11代を相続。細井平洲に儒学を学び、村政改革にも力を尽くす。また田中道麿に国学を学び、寛政元年(1789)に松坂を来訪し宣長に入門。寛政5年(1793)4月15日には近江から名古屋に行く途次の宣長を自邸に宿泊させ夜歌会を開く。師没後は春庭に師事する。著作には、宣長の墓に参拝した時の『時雨の日記』、師道麿の略伝『しのぶ草』などがある。また「蜘蛛の図詠」を得意とした。
「宣長の名古屋地図」部分
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