伴信友の『秋廼奈古理』(アキノナゴリ)に、
「大人の六十歳はかりのころとかや、自の像をゑかきおかんとおもひおこして、をりをり鏡にむかひて物し給ひけるか、月日へて書うつし給ひぬ、それかうへに、
師木嶋の倭心を人問はゝ朝日に匂ふ山桜はな とかきおき給ひけるとそ」
【大意】
宣長先生と60歳頃であっただろうか、自画像を描こうと思い立ち、おりおり、鏡に向かって試みておられたが、しばらくたってようやく完成した。その上に、しきしまのという歌を書いて置かれたということだ。
と書いてある。
着手より完成まで時間はかかったようだが、その作業が終わりに近づいたのが八月であった。『石上稿』の同年秋頃に「おのかかたを書てかきつけたる歌」と言う詞書で「敷しまの」の歌が記録されている。また、「手つからうつしたる」とあり、本像が自画像であることが明らかにされる。
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「伴信友」
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「間に合わなかった入門」
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