midashi_v.gif 『出雲国造神寿後釈』をもっと詳しく

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 出雲国(今の島根県の一部)には、出雲国造(イズモノクニノミヤツコ)と言われる人がいる。過去にはこの地域を支配した人だ。今も「出雲大社」の宮司を務めている。さて、昔、この国造が新たに任命されたとき、一年間身を清め、その後に朝廷に行き、神からの祝福の詞を申し上げると言うことが行われていた。出雲国造だけに許された特別なことだ。その詞を、「出雲国造神賀詞」と言い、『延喜式』(エンギシキ)巻8に載る。

 宣長が執筆を開始したのは、寛政4年(1792・63歳)1月22日。閏2月11日脱稿。50日ほどで書き上げたことになる。刊行は寛政8年初秋。版元は永楽屋東四郎。序文は出雲国造千家俊秀。 『古事記伝』執筆で大忙しの宣長が、それを一時中断して本書を書いたのは、この年の3月、出雲の千家俊信が江戸に下向のため名古屋を通り、ちょうど同じ頃に宣長も名古屋に行くので、その時までに書き上げて俊信に託し、俊信の兄である出雲国造・千家俊秀の序文を貰おうと考えたためである。
 結局、多忙な宣長は名古屋での用事を終えて直ぐに帰郷し、俊信には会えなかった。
 その後、この稿本を俊信に見せて、念願の序文も貰うことができた。

 一方、借覧した俊信は宣長に祝詞全体の注釈、つまり『祝詞考』の後釈を要望するが、宣長は「大祓詞」だけは注釈するつもりだと答えた。
 その約束は『大祓詞後釈』で果たされる。
 ではどうして祝詞を研究するのか、それは「祝詞・宣命の研究の目的」を見て下さ。


>> 「賀茂真淵」
>> 「千家俊信」
>> 「祝詞・宣命の研究の目的」
>> 『大祓詞後釈』
>> 「流れるように進む出版作業」



(C) 本居宣長記念館


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