伊藤東涯(イトウ・トウガイ)

 寛文10年(1670)4月28日〜元文元年(1736)7月17日。儒学者。伊藤仁斎の長男。諡号を「紹述先生」と言うが、その名の通り、父の学問を継承し古義堂の発展に尽力した。中でも、仁斎の『論語古義』を刊行したことはよく知られている。学問は幅広い。著書に『制度通』、『用字格』等。門下には松坂近郊豊原村出身の奥田三角がいる。

 仁斎から徂徠へと発展する儒学の影響について、小林秀雄は次のように言う。
「宣長は、堀景山の塾で、初めて学問上の新気運に、間近に接した。即ち「古学」や「古文辞学」によって行われた、言わば窮理の学から人間の学への、大変意識的な、鋭敏な転回によって生じた気運である。仁斎によって、大胆に打出された考え、「卑ケレバ則チ自カラ実ナリ、高ケレバ必ズ虚ナリ、故ニ学問ハ卑近ヲ厭フコトナシ。卑近ヲ忽(ユルガセ)ニスル者ハ、道ヲ識ル者ニ非ザルナリ」(童子問、上)、「人ノ外ニ道ナシ」、或は進んで「俗ノ外ニ道ナシ」とまで言う「童子問」を一貫したこの考えは、徂徠によってしっかり受け止められて、徹底化された」
                 『本居宣長』第12章。



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