中世後期から現在に至るまで、主に伊勢神宮から刊行される暦。寛永9年(1632)から従来の丹生(ニュウ)(三重県多気郡勢和村)に加えて伊勢の宇治・山田でも板行され、貞享以後は、徐々に暦師も増え、やがて主流となる。宣長が生まれた享保年間(1716〜35)には、印刷部数は毎年200万部に達し、また一軒の御師で10万部必要とした者もいる。農事暦として農業に有益で、江戸時代、御師(オンシ)たちが大麻(タイマ・お札)と一緒に諸国の旦那に配った。
御師や旦那によってランクがあったようで、今も残る江戸時代の「伊勢暦」には金泥で模様を描いたものから無地の物まで色々ある。
宣長さんの家も昔は、御師からすれば上得意様。初穂料を減額しても「暦ばかりは、昔にかはらで、今もうるはしきをおくる也」(暦だけは昔通り立派な物を送ってくる)とは『別本家の昔物語』(宣長全集・20-44)の一節。
【参考】
「伊勢暦について」岡田芳朗『三重県史研究』第10号
「伊勢暦発行一覧」『三重県史』資料編・近世5
「伊勢暦」
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「御師」
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「版木師、伊勢へ行く」
(C) 本居宣長記念館
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