医療収入
記録に残る限りでは、一番医療収入が多かったのが天明年間である。天明元年(宣長52歳)には、約8,000服の薬を調合し96両の収入があった。寛政年間にはお弟子さんからの収入が増え、反対に医療収入は減っていく。寛政5年(64歳)、つまり紀州藩仕官が決まった翌年には、学問関係収入が49両、全収入の47%、医療収入が35両、33%、その他収入が19両となっている。収入合計は103両だ。(北原進氏の調査による。)
>>「貨幣」
(C) 本居宣長記念館
目 次
もどる