midashi_b 医学観

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 病気は薬で治すのではない。自分の「気」が治すのだ。
これが宣長の医学観。

 京都遊学時代の友人岩崎栄令(藤文輿・本姓「藤」、号「文輿」)が肥前国大村に帰る時に贈った「藤文輿が肥に帰るのを送る序」(「送藤文輿還肥序」)という文章がある。岩崎も医者なので、自ずと医論となっている。その中に、

「其れこれを養う術はまた他に無し。食を薄くして飽かず、形を労して倦まず、思慮は常に寡くす。則ち気に従って順となり、周流して滞らず、その政は四末に溢れ、衆官闕失有ることなし。その病いずくんぞ発せんや」
とか、
「養気は医の至道」
という言葉がある。

 薬や鍼灸はあくまでも補助的なものであり、病を治すのは「気」(患者の持つ自然治癒力)である。この医論は在京中に書かれたものだが、この態度は生涯余り変わらなかったようである。

 だから、「親試実験」の古医方や、「究理実測」の蘭医方には距離を置いた。実は、宣長在京中の宝暦年間は、京都では古方派が最も活発に動き出した時であった。新しい医学の胎動は始まっていた。山脇東洋の解剖、香川玄悦の回生術などは、宣長も聞き知っていたに違いないが、彼の興味を引かなかったようである。ただ、香川太冲にだけはちょっと関心を示している。

 『ターヘルアナトミア』翻訳の推進役であった前野良沢とも、阿蘭陀語のことでちょっと関係もあった。また開業後も医学書を見て研鑽していたことは、当時流行の医学書『温疫論』の批評や紙の裏に残された調薬覚からも推測される。

 

>>「香川太冲」



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