midashi_b いちやかひとよか

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 「松阪の一夜」、最初は「松坂の一夜」であったが、後「阪」に改められた。
 問題は、一夜の読みだ。言葉としては「ひとよ」であろう。実際、佐佐木信綱が書いた「松阪の追憶」には「松阪の一夜」に「ひとよ」とルビがある。歌も「ひとよをうけしおしえぐさ」とある。
 ところが、実際教壇で教えた松阪の久野九右衛門先生は、「いちや」と教えたと証言する。また、芦田恵之助がこの教材の模範授業を行ったときの記録に、
「松阪の一夜
  と、題目を板書し
 これはね、松阪(マツサカ)の一夜(ヒトヨ)と読むんぢやね、一夜(ヒトヨ)と読んでも一夜(イチヤ)と読んでもよい。どちら読んでもあやまりではない。
 それから、松阪(マツサカ)と三重県ではにごらずにいつて居る。それで三重県でいつてゐるやうに読んだ方がよいと思ふ。松阪(マツサカ)の一夜(ヒトヨ)ね・・・。」(原本ルビは平仮名)
                  『教壇叢書第2冊 松阪の一夜』
とあるのは、現場でも揺れがあったことを窺わせる。



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