宝暦7年(1757)7月16日〜文政7年(1824)3月14日。松坂殿町、通称鷹部屋に住す。紀州藩士。本姓、源。通称、義内。号は楓蔭。水月。箕田水月とも称する。天明5年、宣長に入門。歌の添削や講釈を聴講する。また『三大考』を執筆し、宣長により『古事記伝』巻17の付録として載せられる。紀州藩と宣長のパイプ役も果たし、『玉くしげ』献上は一説に中庸の働きか。祖父、時保も宣長門人。師没後、平田篤胤に与して、大平らの歌文を中心とする一派とは一線を画す。また、晩年には京都で医者を開いたこともある。
「松坂地図」の「鷹部屋」
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