一日はいつ始まるのか。この問題について、例えば伊地知鐵男氏「昼と夜の変り目」(『汲古』創刊号)は、子、丑刻は前日、寅刻が日付変更時刻である(大雑把には午前4時くらい)とする。宣長でも『在京日記』宝暦7年7月25日に、
「廿四日の夜の丑の刻過に、はや門をたゝき」
とあり、やはり丑刻は前日であったことが確認される。だが御承知の通り『遺言書』第一条では、通例に背き「夜之九ツ」を日付変更線としている。
宣長は
「享保十五年【庚戌】五月七日夜子之刻【夜之九矣】」 (『日記』)
に生まれ、享和元年9月28日夜9ツ半没した。生まれたのは翌8日にかかる午前零時頃であり、没したのは29日にかかる午前零時頃であった。命日は『遺言書』の指示通り9月29日と定められた。日付変更時刻に密接に関わった生誕と死であった。
>>「宣長の一日」
>>「宣長の誕生」