病気が流行し忙しくなれば当然学問の時間は割かれる。
「はしか流行にて昼夜一寸隙なく、ただ俗塵中に月日を送り申し候」(荒木田尚賢宛書簡・47歳)
「十月霜月両月の間、大いに風病流行いたし、甚だ俗用しげく、一向に学問事廃し」(田中道麿宛書簡・52歳)
この年の医療収入は96両と、記録に残る限り生涯最高額となる。この翌年、書斎「鈴屋」を増築したのも関係があるのかな?
「世上殊の外病人多く、家用手透き無く昼夜奔走いたし、久々一向廃学、諸方の状通も打捨て甚だ無風流にくらし申候、御憐察可被下候」
これは56歳の時の小篠敏宛書簡の一節。また、同書簡に『温疫論』について「今の症に符合いたし候を以て是を信じ候は、医の愚昧に御座候」とあり、新しい医学書も見て研鑽怠りなかったことが窺える。
>>「医療収入」
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