midashi_o.gif 永楽屋東四郎(エイラクヤ・トウシロウ)

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 宣長の著作は、松坂の柏屋や、また京都の銭屋などでも刊行されたが、最大の出版元は名古屋に永楽屋であった。

 永楽屋の初代東四郎、寛保元年(1741)〜寛政7年(1795)。享年55歳。姓は片野。名、直郷。通称、東四郎。初め、名古屋の書肆・風月堂孫助に奉公。35歳で独立、名古屋本町4丁目に開業。後、同7丁目に移り、尾張藩校・明倫堂の御用達となってその基礎を固めた。天明年間、横井千秋が『古事記伝』刊行を企図し、永楽屋に刊行を働きかけた。努力が実り、第1帙として巻5までが寛政2年、第2帙が同4年に刊行される。同7年には初代店主が没するが、2代の善良によって出版は継続され、同9年には第3帙17巻までが刊行された。寛政12年、風月堂孫助と永楽屋で版木の一部を購入した。これ以後、出版は書肆先導で進んでいくことになる。

 享和元年(1801)、宣長没後も出版は継続し、順次刊行。文政5年(1822)に完結する。宣長著作の出版は永楽屋に利益をもたらしたようで、明治に至るまで、神棚で文将星(魁星)と孔子、そして宣長を祀っていた。善良も天保7年(1836)69歳で没し、3代善教も宣長一門の出版に熱心で、同13年には『鈴屋翁著述書目 諸人著述書目』を出している。善教は安政5年(1858)、62歳で没す。鈴屋遺跡保存会が出来て、佐佐木信綱の計らいで『古事記伝』版木を同会に寄託した。昭和26年、書肆を廃業する。

 江戸時代の店の様子は、名古屋市博物館に復元されて見ることが出来る。



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