midashi_g.gif 江戸店(エドダナ)

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 『玉勝間』に「富る家おほく、江戸に店といふ物をかまへおきて、手代といふ物をおほくあらせて、あきなひせさせて、あるじは、国にのみ居てあそびをり、うはべはさしもあらで、うちくはいたくゆたかにおごりてわたる」とある。
 また、大平は、「松坂の江戸店持ト、わか山の千石以上ノ人トハ、くらし方同様也」という。紀州藩士で言えば千石取以上の武将、「江戸店持ち商人」であった。

 彼らは、本拠地を松坂、またその近郊に置き、普段は主人はそこにいる。店を三都に構え、各店では伊勢国出身者を中心に雇用し、家訓と店掟で厳重に管理した。1750年代には49家あったという「江戸店持ち」の代表が、三井、小津、長谷川、長井、殿村等である。宣長の家も、また門人にもその関係者が多かった。

 江戸店は商売の最前線であり、使用人などの生活規則は厳重で、読書も禁止されていたことはよく知られている。また、松坂との連絡も密で、魚町長谷川家では月に3度の定期便があり、火災などの情報も5日位で届いた。また、賀茂真淵への連絡にも、江戸店にいた弟・親次に託することもあった。

【参考文献】
『郷土の本居宣長翁』桜井祐吉(郷土会館出版部、昭和16年)
『江戸商業と伊勢店』北島正元(吉川弘文館)
『三重県史・資料編、近世四、上』


>>「小津三郎右衛門」
>>「大伝馬町の店」
>>「源四郎店」



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