伊勢からは友人荒木田久老も歌を贈ってきてくれた。
「鈴の屋のうた
はしきやし、吾せの君の、造らしし、五十鈴のすずの、鈴の屋の、高きその屋は、見わたしの、海も真広く、み渡しの、山なみ高し、彼山の、いやたかだかに、上つ代に、い立のぼらひ、其海の、真広が如、いにしへの、大御国ぶり、世に広く、をしへ給へば、鈴がねを、聞の継々、石ばしの、間近き郷ゆ、雲離れ、た遠き国よ、人さはに、来いりつどひて、月に日に、栄る宿は、千とせにも、今も見る如、有こせぬかも 鈴の屋に、ゆらぐ鈴が音(ね)、世の人の、聞の継々、ともし振るが音、荒木田久老神主」
「有こせぬかも」とは、あってくれないものかという意味。
例・『万葉集』119番歌
「吉野川、行く瀬の早み、しましくも、
淀むことなく、ありこせぬかも」弓削皇子
ところで、どうして鈴なのだろう。
さっき引いた宣長の歌に、
「物むつかしきをりをり引なしてそれが音を
きけばここちもすがすがしくおもほゆ」
とある。勉強に疲れたときの気分転換というわけだ。
では「鈴」ってなんだろう。
>>「荒木田久老」
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