midashi_v.gif 秋成の『菅笠日記』評

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 秋成は天明8年(1788)3月の吉野行き紀行文「岩橋の記」で、

「ここ(引用者注・安倍文殊院)の岩屋の事、又是より三つ山の事、初瀬飛鳥わたり吉野山の枝折ことごと、いにしへを引き出でて今のうつつにかうがへ、或はたがへるをろうじなどしたる菅笠の記とか、伊勢人の書きし物をさきに見しが、世につばらかにもるる事無くしるされたるには、野べの新草つかみじかき筆して、などやまなび出でん、其人は御国のふりたる事どもをあなぐりとめて、天の下の物識になんおはせりき、さればよ、旅ゆき人の日記てふ物にはいみじきまめ文也けり」
と『菅笠日記』を評している。

 宣長と秋成は、まるで天敵のように言われるが、少なくとも秋成は、宣長著作をよく読んでいた。この評も、激しい論争の後であるが、見るべきところは見、評価すべきところは評価していて穏当なものである。両者の関係はもう一度冷静に考えた方が良さそうだ。


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