天明4年(1784)11月26日〜安政3年(1856)11月5日。享年73歳。本姓、度会。名、弘訓。幼名、慶二郎。通称、式部、権太夫。号は寛居(ユタイ)。伊勢神宮外宮の神官。
享和元年(1801・18歳)、荒木田久老に入門、師から「寛居の詞」を贈られる。文化2年(1805)には芝山持豊、本居大平に入門。同6年春庭に入門。大平が伊勢に来るたびにその講義や歌会に参加する。時には、大平に主たる著述がないことで師を激励もする。また、春庭からも「我は盲人なり、語学は足代に学べ」と言われたと伝える(『日本古典文学大辞典』)。経世の志も篤く、大塩平八郎、吉田松陰とも交わった。
【参考文献】
『足代弘訓』榊原頼輔・千歳文庫。
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>「荒木田久老」
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