◇ 花見
4月は花見の季節です。でもそれは今の暦の上でのこと。
宣長さんの頃は約1ヶ月ほど早く3月初旬が桜の見頃でした。
43歳の時の吉野の花見は『菅笠日記』に詳しく記されています。
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「菅笠日記」
3月5日に松阪を出立、7日には多武峰談山神社で満開の桜に出会います。
「桜は今を盛りにて、ここもかしこも白妙に咲満ちたる花の梢、
所柄はましておもしろき事、言はん方なし」
翌3月8日、吉野山に到着。すでに、下千本は「花は大方盛り過ぎて」いたようで、散り残った梢が、あたかも半ば解けてしまった雪のようにあちこちに見えていたそうです。

◇ 入学式
また4月は入学式の季節です。宣長さんの時代はどうだったのでしょうか。
「毎月の宣長さん」1月「正月は入学の季節」をごらん下さい。
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「毎月の宣長さん」1月「正月は入学の季節」

◇ 稲荷祭の日
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馬に乗る宣長
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旧暦4月、京都では稲荷祭が行われます。
五基の神輿が3月、中の午日(うまのひ)に油小路西九条の御旅所に遷り、4月、上の卯日に伏見稲荷大社に還幸します。その時、東寺で寺家の神供を受けます。
景山先生の講釈や武川先生の医療活動もこの日はお休みなのでしょう、宣長も友人と遊びに行きます。
宝暦6年(宣長27歳)4月6日、上天気のもと宣長は友人の堀蘭沢たちと連れ立ち、稲荷祭とは逆方向の洛北・等持院の開帳に行きました。
足利尊氏の守り本尊の地蔵菩薩など寺宝や庭園を見た後、衣笠山に登ると掛茶屋(よしず張り簡素な茶店)がたくさんあり賑やかで、山頂では夢合観音を拝見しました。それ以上に印象深かったのは町の眺めです。
「此山の上より、京中よく見えて、いとよき風景也、酒のみなどし、休みて帰る」
帰りには、連れて行った馬に交代で乗ったものの物足りなかったのでしょう、北野の右近の馬場で乗馬を楽しみました。宣長も、久しぶりだったが一鞍二鞍乗るうちに心浮き立ち楽しいものだと感想を述べています。
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「馬に乗る宣長」
宝暦7年(1757)4月6日は、東寺に住む友人岡本幸俊の案内で稲荷祭見物に行きました。
この日も日より良く、暑ささえ覚える程でした。東寺の境内は人で溢れ見物どころではありません。そこで幸俊の顔で八幡宮近くの「よろしき殿舎」にもぐり込みました。ここは東寺の僧正や寺家といった特別の人が入る場所です。特に何がいうわけではないけれど、古雅の趣が漂っていました。甲冑を身につけた者や公儀役人の警護する中、やがて神輿が西から入り東へと抜けていきます。
見物の後は、東寺の五重塔にお詣りしました。
「おほよそ洛中洛外にて、此塔ばかり高きは侍らじ」
と書く宣長の筆からは、登ってみたいなあと言う気持ちが窺えるようです。念願がかないこの塔に登るのはこの年9月のことです。
近くの沼はかきつばたの花盛り。しばし茶店で休み、岡本氏の家に移り、暮れ方頃、提灯をともしにぎやかな町をそぞろ歩き室町四条南にある寄宿先に帰りました。
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「東寺五重塔に登る」
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『在京日記』

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「毎月の宣長さん」3月
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「毎月の宣長さん」4月
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