
『らんのふしぎ発見!本居宣長記念館見学ノート』で、『古事記伝』を写しています。
気分は、帆足みさと嬢といったところでしょうか。
>> 帆足みさと
このように、実際に筆(ペン)で書いてみると、内容とは別に、いろいろ発見があるようです。
たとえば『古事記伝』では6種類の大きさの文字が使用されます。
『古事記』本文。同割注。伝本文、同割注。本文のルビ。伝のルビ。
これらをきちんとかき分けるためには、穂先の異なる筆を用意した方が効率的だとか、何より、「いと拙くて」と卑下しているのは、言葉通りに受け取ることは出来ないなということも実感できるはずです。
また「見学ノート」には、珍しく字を誤って張り紙した箇所も、写真で出ています。
紙は小刀かはさみできちんと切断されています。
21ページの地図(大日本天下四海画図)は、サインペンで写すと、単調でどうも地図らしく見えません。
さて、宣長はどんな筆を使っていたのでしょうか。
残念ながら、本居家からの寄贈品の中で、これは宣長先生の筆だと断定できるものは一本もありません。
大事なものですから、もし伝っていたら包み紙に「故翁御筆」とか書いて大切にされているはずです。一体どうなったのでしょうか。
きっと門人がもらっていったのでしょうね。
宣長の筆について、ちょっと大切な話をメモしておきます。
一つは、平田篤胤がもらった話です。
春庭から「故翁ノ用ヒタフルサレタル御筆」を譲り受けて、『古史伝』の清書に使用したそうです。
またこの筆とおぼしきものが遺品の中にあると、この話を紹介する中川和明さんの「平田篤胤の文政六年上京一件と国学運動−新史料『上京日記』を中心に−」(『鈴屋学会報』23号)とあります。
注のところを引いておきます。
「平田家資料の中に宣長の筆、請求記号「箱4-24」、宣長の筆三本で、包紙には「故鈴屋大人御用筆」と記されている。」
出来るものなら実見したいものです。
二つ目は、廣岡義隆さんから聞いた話ですが、佐佐木信綱さんは、宣長に倣って穂先を切った筆を使っておられたそうです。
これもぜひ拝見したいものです。
【参考】
「万よりも、手はよく書かまほしきわざ也。歌詠み学問などする人は、ことに手悪しくては、心劣りのせらるるを、それ何かは苦しからんといふも、ひとわたり理はさることながら、なほ厭かず、打ち合はぬ心地ぞするや。宣長いと拙くて、常に筆取るたびに、いと口惜しう、言ふ甲斐無く覚ゆるを、人の請ふまゝに面無く短冊一枚など、書き出て見るにも、我ながらだに、いとかたはに見苦しう、頑ななるを、人いかに見るらんと、恥づかしく胸痛くて、若かりし程に、などて手習ひはせざりけむと、いみじう悔しくなん」
ー「手かく事」『玉勝間』巻6 ー |