何か説明が難しいなあ。6月19日正午から開幕した夏の企画展を解説しながらそう感じました。
一番最初のお客さんは、魚町長谷川家調査に各地から集まった専門家の方々。宿泊先の旅館の女将から、一度館長の話を聞いてきたらと勧められたそうです。
引き続いて、理事長を始めとして評議員、理事の人たち。私の話を耳にタコができるくらい聞いて頂いているメンバーですが、どうもいつものように舌が回らない。
開幕二日目の今日は、福岡からの見学者をお迎えしました。
興味関心の違う三つのグループに話してみて、説明が難しいと感じた理由がわかりました。二つあります。
一つは、用語、ケースタイトルの問題。
展示テーマとなっているのが「パール・ネットワーク」という耳慣れない言葉であり、また展示室に入ってすぐの9ケースには「宣長の幕の内弁当」と書いてあるので、見学者は、何これ?と立ち止まり首をひねります。
二つ目は、一つ一つの展示品が面白すぎること。
一つの史料で一席のお話ができるくらい、美味しい史料のてんこ盛りで、また興味深い箇所が開かれています。
但し、これはただ見学していてもおそらくわからない。キャプションは工夫してあっても、字数の制限もあり、しかも展示担当研究員はとても奥ゆかしい方なので、ごく控えめにしか語ってくれていない。
そこで私の出番。話をし始めるのですが、見学者の関心は、やはり全体より細部に集中してしまいます。
最初から変ですね。
霊気の集う鈴屋。杉坂董氏の絵です。
次が平田篤胤が描いたオノゴロ嶋(淤能碁呂嶋之歌)。何これ?
堂々とした宣長蔵の横には、いじけたような秋成像。
これらをまとめるのが、「パールネットワーク」と言う言葉です。
パールネットワークについては、またお話ししますが、人が出会いによって一層輝くことです。道麿と宣長の関係などまさにそんな出会いですね。
田中道麿の画像も久しぶりの公開です。
岐阜県の養老町出身ですが、年下の宣長に弟子入りして松坂に来訪、生まれ変わるくらいの衝撃を受けたそうです。
高本順の短冊が出ています。
順さんは、熊本藩校時習館第三代教授。今なら熊本大学の学長といったポストですね。
朱子学を信奉するバリバリの儒学者だけど、宣長の学問にも関心が深く、寛政9年には門人の長瀬真幸らを従えて鈴屋を訪れましたよ。
それも宣長先生の『菅笠日記』の行程をたどって松坂入りするという念の入れようです。
ちょっと短冊を読んでみましょうか、
詞書は「菅笠日記のみちをとめて鈴屋大人をとぶらひて」
歌は、「みよしのの花をわけてぞとひ来つる君がしをりの道のまにまに」
吉野の桜といえば西行の時代から、「奥ある桜」が大きな特色ですが、それを上手く使った歌ですね。
和歌のたしなみがあった、それは常識だったとはいえ、上手く詠んでいますね。旅行もこれだけ趣向を凝らすのですね。
ちなみににこの時のお土産は、『音信到来帳』を見てください、国府の煙草と筆でした。
『音信到来帳』には、出雲大社の千家清主の名前も見えますね。おみやげは「出雲海苔」か。
順さん一行を迎えた宣長も大喜びで、さっそく愛宕町の天神さん(菅相寺)を会場に歓迎の歌会を開きました。
真幸は得意ののどを披露して、催馬楽「席田」というお祝いの古曲を謡ったら、宣長からアンコール。
長瀬はそれを生涯の自慢として、宣長没後に熊本で開かれる追慕会では必ず披露したそうです。
隣が15歳のお嬢さん、帆足京の短冊です。
31年と言う短い人生の中で、松坂で父母と過ごした時間は、たった一つの輝きだったかもしれません。
案外、『古事記伝』書写の時の見事さで大先生・宣長をびっくりさせたことが、一番楽しい思い出だったのかもしれません。
「やったぁ」という感じですね。今風の解釈ですが、でもそう信じたいですね。
これも、パールネットワークです。
さて、あら竹さんの駅弁くらいおいしい「鈴屋特製・幕の内弁当」。
これについては、次のお話しとさせていただきます。
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