◇ 『多度神宮寺資財帳』の発見 #003

 小玉道明氏「鴎外再見 桑名郡多度寺の資財帳を追う」(『棧 文芸・論索同人誌』26号・2010年12月)は、『多度神宮寺資財帳』(国重文)が発見紹介される過程を追い、同資財帳の謎に迫る。
 東寺旧蔵と伝えられるこの「資財帳」が世に出たのは18世紀後半。

 三つの動きがある。
 まず、藤貞幹が写した(大東急記念文庫蔵)。貞幹は寛政9年(1797)8月19日没で、それ以前の写本であることは間違いない。
 次に上田百樹の写本(津市立図書館稲垣文庫蔵・文化7年写)と、伴信友の『神名帳考証』への引用で、この二つは両者の交友から関わりがある可能性が大きい。
 最後は、市場に出た「資財帳」は竹包楼から狩谷掖(木偏・夜)斎の手に渡り、模刻本が作られた。狩谷本が現在の多度大社所蔵の重要文化財指定品である。

 これらの三つがどのようにつながるのかは今のところ不明。そこに「資財帳」が内包する問題や、掖斎の模刻本の謎、さらに史料批判のないままに研究が続けられてきた杜撰さが絡み合い複雑な様相を呈する。この成果は近く論文として発表される予定で、本編はその途中経過。
 今のところ宣長との直接の関係はなく、周辺で起こった出来事の一つにすぎないが、和学者の世界の出来事として興味深い。


>> 上田百樹(ウエダ・モモキ)


2011.2.22

Copyright(c) Museum of Motoori Norinaga. All rights reserved.